贅沢と浪費の意味
一般的に節約の反対の意味として浪費や贅沢という言葉が使われますが、辞書で節約の意味を調べてみると、
- むだ遣いをやめて切りつめること
- 無駄をはぶいて、切り詰めること
- 無駄遣いを極力なくするように努めること
とありました。
浪費の意味を調べてみると、
金銭・時間・精力などをむだに使うこと
となっており、一方で贅沢の意味を調べてみると、
- 必要な程度をこえて物事に金銭や物などを使うこと
- 金銭や物などを惜しまないこと
- その人物の立場に比べておごっていること
とありました。
浪費も贅沢も節約の反対の意味を持つのですが、浪費と贅沢の違いは無駄になっているかどうか、ということです。別の言い方をすると当人が無駄と感じているかどうか、ということです。
贅沢は必要以上に使ってはいますが無駄にはなっていません。当人は満足しています。一方で浪費は当人が無駄だと感じていて満足感が得られていません。
何をもって無駄だと判断するのかは人それぞれなので、他人の評価は関係ありません。あくまでも当人の基準に当てはめて感じられることです。
他人から見ると浪費にしか見えないことでも、当人にとっては贅沢と感じて幸せな気分を味わっているのかも知れません。
例えば私の知り合いに幼少の頃に貧乏でお風呂に入れなかったという人がいるのですが、その人は現在お風呂にお湯をいっぱいに貯め、入った瞬間にお湯があふれ出るのが贅沢で快感だと言っていました。
私が同じ事をしても浪費としか感じませんが、その人にとっては贅沢で心地よい瞬間を味わっていることになります。
その人はあらゆる事に金遣いが荒いわけではなく、とにかくお風呂だけはお湯が溢れ出ないと気が済まないのだそうです。
個人的には水の無駄遣いが良いとは思いませんが、基準は人それぞれなので間違いだとも思いません。
あくまでも大切なのは自分の基準であり、その基準を満たすことは贅沢ですが、満たし過ぎることは浪費ということになります。
この浪費と贅沢の違いを理解できるようになると、節約は勝手に加速していくものです。
自分の基準
この人それぞれ違うはずの基準を、世間一般の基準や誰かの基準に当てはめてしまうと、この贅沢と浪費の違いが曖昧になってしまいます。
せっかく贅沢をしているつもりなのに、結果的に満足感も得られずに浪費になっている人は珍しくありません。
- 車ぐらい持っていないと恥ずかしい
- 貸家だと一人前ではない
- 年に一回は海外旅行
- 男なら・・・
- 女なら・・・
のような誰かの基準を自分の中に持ち込んでしまうと、このズレが生じてしまい、せっかくお金をかけて贅沢をしているつもりでも、たいして満足出来ずに浪費になってしまいます。
一方で自分の基準にしっかりと当てはめて判断している人というのは、的確に贅沢による満足感が得られるので浪費と感じることがなく、結果的に無駄も減って節約になっていきます。
節約というと徹底的に切り詰めて我慢するようなイメージをもっている人が多いのですが、冒頭で紹介した意味のように、必要十分な範囲にコントロールすることが本質です。
他人の基準に影響されて自分の基準がブレていると、コントロールしたところで意味がないのですが、きちんと自分の基準を理解していると、必要十分な節約と贅沢だと感じるポイントを上手くコントロールできるようになります。
例えば特別な日に豪華な食事で贅沢をしようとした時に、いつもよりも高い料理を注文することは贅沢なことですが、高い料理でも食べたくもないものなら浪費になりますし、食べきれない量を注文してしまうのも浪費です。
もちろんお風呂のお湯を溢れさせることに贅沢を感じる人がいるように、テーブルに食べきれないほどのお皿を乗せるのが贅沢だと感じる人がいるかも知れないので、必ずしも浪費だとは限らないのですが、そのテーブルいっぱいにすることが贅沢なのだという誰かの常識に影響されて行っているのであれば、全く満足感が得られない浪費になってしまいます。
私がお風呂のお湯を一杯にして溢れさせても、何も満足感が得られないようなことです。実際にホテルに泊まった時に試したことがありますが、下の階に水が漏れないか不安になったり、うるさい音にびっくりしただけでした。
管理職になったからと外車や高級腕時計を購入すると、周囲の人から羨ましがられるかも知れませんが、当人が満足しているとは限りません。
もちろん周囲の人から羨ましがられたいのであれば別ですが、そうでもないのに合わせてしまうと誰も得しない浪費になってしまいます。
しっかりと自分の基準をもち、その基準にそってコントロールすることで贅沢を味わうことが出来ます。そしてコントロールできるということは、世間一般の基準でも自分には必要のない無駄な事をコントロールできるので、結果的に節約にもつながっていきます。
まとめ 満足感は自分にしか判らない
コンビニ弁当を食べることが贅沢だと感じる人がいる一方で、節約の為にコンビニ弁当を選ぶという人もいます。
全く同じ対象でも人それぞれ基準が違うので、意味合いは変わっていきます。
自分の基準ではなく世間一般の基準を気にし過ぎてしまうと、満足感が得られずに浪費になってしまうものです。
しっかりと満足感が得られる贅沢と、ろくに満足感が得られない浪費の違いを理解して、適格にコントロールできるようになってください。
趣味の世界だと多くの人が自分の基準で判断できるものです。世間の評価が高い流行の音楽しか聴かないという人は多くありません。
自分の基準(好きな音楽)が構築されていない若い世代ほど、流行の音楽が好きなのは仕方がありませんが、大抵の人は自分なりに好きな音楽が確立されていきます。
一方で仕事や生活の事となると、世間の基準や一般常識ばかりを気にしてしまう人が多いものです。これは中年になっても流行の音楽を追い続けているようなことです。
職場や人間関係を円滑にする為に周囲の基準に合わせることが必ずしも悪いわけではないのですが、中途半端に受け入れてしまうと、どっちつかずになってしまいます。
おじさんが若者に好かれようと無理に流行の曲をカラオケで歌っても、誰も得しないようなことです。
管理職に出世したら若手のやる気を促す為に、外車に乗ることが暗黙の了解の職場なのであれば、価格の安い中古の外車を選んでも良いわけです。運転のしにくい左ハンドルを選ぶ必要もありません。
ある知り合い女性から教えてもらったことですが、その人はブランド物にはいっさい興味がないのに、バッグだけはヴィトンを使用していました。その理由が職場のブランド物好きの女性に合わせる為だけでした。
なのでそのバッグは中古で購入しており、プライベートでは一切使わないとのことでした。
洋服までブランド物にしてしまうと、たくさん用意しなければなりませんし、流行にも左右されてしまいますが、目立つバッグだけなら長く使えるので買い替えなくて済むそうです。
このように周囲の人に合わせる必要があるにしても、しっかりとその意味を考えることで必要以上にお金をかけずに済むようになります。これこそが節約の本質です。
中途半端に受け入れてしまうと、職場の女性に羨ましがられそうな高額なブランド物を次から次へと購入しなければなりませんが、目的を明確にした上で自分の基準に当てはめてることで、よりベストな選択肢が見えてくるようになります。
私の例で言うと、相手への敬意が求められる冠婚葬祭で履く黒い革靴はそれなりの物を購入しています。それなりといっても有名ブランドのアウトレット商品(3万弱)ですが、10年以上経った今でも綺麗な状態を保つことが出来ています。
グッドイヤーウェルテッド製法というガッチリとした作りで靴底の張り替えも可能なので、この先もまだまだ活躍してもらう予定です。
安い革靴だと数年で型崩れしてヨレてしまい、靴底を張り替えることも出来ないので数年置きに買い替えることになりますが、それなりの物であれば相手への敬意を保ったまま長く愛用することができ、結果的にコストパフォーマンスも良く大満足しています。
これらのように自分の基準をしっかりと持ったうえで、世間一般の基準と照らし合わせてコントロールすることが大切です。
お金に余裕があるからと安易に高級革靴を購入しても、ろくにメンテナンスが出来ないと直ぐにダメになってしまうので、むしろ安い革靴を適度に買い替えた方が良いという事も考えられます。
どれが正解というものではなく、自分の基準で判断するしかありません。この作業を怠るとせっかくお金をかけても浪費になってしまいますし、満足感も得られません。
一方で葬式は黒い革靴なら何でも良いといった自分よがりな基準だけでも危険です。しばしば年配の方でも葬式には向かない華やかなデザインの黒い革靴を履いている事があるものです。
自分の基準といってもTPOまで無視してしまうとリスクがあるので、適度にコントロールする必要があります。
オシャレである事が求められる職場なら、それなりの恰好をする必要があるので鞄だけでは仕事に支障をきたすかも知れません。
ダサい恰好の美容師さんにカットされたくないように、それぞれ求められる役割というものもあります。
ただそれらの役割といっても自分の基準を無視してしまうと、満足感が得られない浪費になってしまうので、きちんとコントロールすることが大切です。
何でもかんでも節約をして周囲の人に迷惑をかけてしまうと、結果的に仕事や人間関係が悪化して収入が減ったり、余計なお金を支払わなければならない状況になるかも知れません。これでは全く節約になっていません。
一方で自宅の中や趣味のようなものであれば、自分の基準だけで判断した方が満足感が高くなります。旅行好きでもないのに「連休は旅行に行くのが贅沢なのだ」と勘違いしてしまうと、疲れが貯まるだけの浪費になってしまいます。
今回紹介した浪費と贅沢の違いを理解することで、このコントロール能力が磨かれ、よりベストな選択肢を選べるようになり、結果的に必要十分な範囲を選ぶ節約が加速していくことになるので、無意味な浪費を上手に避けられるようになってほしいと思います。