節約はレジャー!

こだわらない事で本質に近づくことがある話

こだわりは重要?

しばしば「個性が大事」とか「こだわりのポイント」といったものが、さも重要な事だともてはやされますが、こだわりが強過ぎるがゆえに本質から遠ざかる事は珍しくありません

例えば私が住んでいる北海道では食料自給率が200%を超えていることもあり、どこの町にいっても地元の食材にこだわった料理があります。

地元の食材を活かした料理を提供することが悪いわけではありませんが、余りにも地元の食材にこだわり過ぎて残念な料理になっている事が珍しくありません。

安く手に入りやすい地元の美味しい食材を活かす事は理にかなっていますが、付け合わせの野菜や調味料やお米といったものまで地元にこだわってしまうと、せっかくのメインの食材を活かせなくなる事があります。

そのまま食べるだけで美味しい新鮮な海産物に、地元の濃厚なバターを合わせてしまうような事です。

特に最近は町おこしの為に地元の食材を掛け合わせた創作料理が多いのですが、主張の強い食材同士がケンカしているケースがあるものです。

濃厚な牛乳を活かしたバニラだけのシンプルなソフトクリームは美味しいものですが、地元の名産の果物を活かしたソフトクリームに合う牛乳は、必ずしも濃厚な牛乳とは限りません。むしろ淡泊な安い牛乳の方が果物の良さを引き出せるかも知れません。

こだわりを持つことが悪いわけではありませんが、こだわるポイントがズレて本質を見誤ってしまうケースが少なくないように感じます。

北海道の料理人のレベルが低い・・・

私の中学時代の同級生が京都の料亭に勤めているのですが、久しぶりに北海道で彼と再会した時に印象深い事を言っていました。それは、

「北海道の料理人のレベルは低い」

といったものです。食材が良過ぎるがゆえに創意工夫をする必要がなく、調理のレベルが向上していかないので、食材の良さを活かしきれていないと言われてしまいました。

あるお店で生牡蠣にポン酢が添えられていたのですが、「こんだけ濃厚な牡蠣ならかぼすをちょっと絞るだけの方が絶対に上手い」と熱く語っていました。

北海道の料理のレベルが低いのではなく、調理する技術が低いという事です。素材が良いだけに活かす技術が未熟なのだそうです。

一方で京都や東京の料亭というのは、全国から選りすぐりの食材を集めています。京野菜にこだわっている料亭ても、出汁を取る昆布は北海道だったりするわけです。

あくまでもメインとなる食材をより良く活かす為に、その他のものは臨機応変に使い分けています

北海道は広大な土地であるがゆえに、地元の食材だけで何とか出来てしまうのですが、それが理由で料理の可能性を狭めてしまっているのだそうです。

この話を聞いた時に私は素直に納得はできなかったのですが、それからしばらくして酪農が盛んなある町の料理を食べた時に、「こういうことか!」と納得させられました。

ソーセージをふんだんに使った珍しいグラタン(800円)でとても美味しかったのですが、店主と話していると地元の食材をほとんど使っていなくて驚きました。

地元の牛乳は濃厚過ぎるらしく、あえて市販の安い牛乳を選んでおり、チーズとソーセージは外国産のものでした。その事に私が驚いていると、

「初めは地元のものも使ってみたけど、俺の料理にならないんだよね」

と言い、スッと漬物を出してくれて、

「これは地元のだよ、そこのスーパーで売っているやつだけど」

と笑っていました。その漬物も凄く美味しかったのですが、

「俺がつくるより断然上手いから、お客さんにとってもこっちの方がいいよね」

と再び豪快に笑っていました。

料理にどのようなこだわりを持つのかは自由ですが、地元の食材を活かすことにこだわるのか、料理人としてのこだわりなのか、それともお客さんを満足させる安くて美味しい料理にこだわるのか、といったこだわりポイントの違いで、様々なアプローチの仕方があるのだと感じた出来事でした。

地元の食材を活かすことが悪いわけではないですし、そこに創意工夫をするのも良いのですが、そこだけにこだわってしまうと、美味しい料理から遠ざかってしまうのかも知れません

Made in Japanのリスク

これは北海道の食材に限ったことではなく、「made in Japan」信仰にも同じような印象を受けます。

しばしば「日本製が世界でナンバーワン!」と頑なに信じている人がいますが、これは「北海道の食材が一番!」と信じ切っている多くの北海道民のように、選択肢を狭めてしまいます。

日本の技術力が素晴らしい事に異論はありませんが、何から何まで一番と決めつけることにはリスクがあります。スマホなどが分かりやすいでしょうか。日本製は世界で全く評価されていません。

自動車のように安全性が求められる分野であれば、「made in Japan」の信頼性でまだまだ世界中で選ばれる要因となっていますが、パソコンやスマホといった分野では中国と勝負できなくなっています。

オーディオの世界でも中国勢がどんどん力を伸ばしており、同価格帯のものであれば中国製の方が日本製のものより高音質になっています。

日本や地元を応援しようとする気持ちは尊いですが、そこにこだわり過ぎると本質を見誤る可能性が高くなってしまいます。

安くて美味しい料理を提供する大衆食堂であれば、ニンニク一株で300円の青森産のものより、三株で100円で売られている中国産のニンニクの方が、料理の価格を抑えられてお客さんも喜ぶような事です。

もちろんニンニク料理にこだわったお店であれば、青森産の高級ニンニクを選ぶ価値がありますが、ちょっとした香りづけ程度でニンニクを使う料理であれば、チューブのニンニクやガーリックペッパーで十分かも知れませんし、むしろ余計な食感や主張がなくて適しているかも知れません。

こだわるポイントを間違えてしまうと、誰も得しないケースがあるものです。あえてこだわりを捨てることで、本来の目的を達成しやすくなる事もあるのではないでしょうか。

こだわらないのも力

譲れないこだわりや信念まで手放す必要はありませんが、それらを突き通す為にも捨てた方が良いこだわりもあるのではないでしょうか。

少し前にテレビで「消えていった天才」といった内容の番組がありました。現在一流スポーツ選手として活躍している人の若き頃のライバルの行く末を調べるといったもので、「なぜに消えていったのか?」といった内容が紹介されていました。

ある有能なサッカー選手が消えていった理由は、ポジションへの強いこだわりでした。チームメートにケガ人が続出してしまい、監督から別のポジションへの移動を指示されたのを断ってしまい、居場所がなくなって消えていってしまいました。

「サッカーで得点王になる!」といったこだわりが譲れないのであれば、仕方がないとも言えるのですが、「サッカー選手として活躍して子供たちに夢を与えたい」というこだわりであれば、ポジションを変えても問題ないですし、再び希望するポジションに移るチャンスも残せたはずです。

その番組とは関係ありませんが、元サッカー日本代表の長谷部誠選手は元々は得点に絡みやすい前のポジションの選手であり、ドリブル突破やシュートも得意だったのですが、プロに入ってから徐々にポジションを下げていき、ボランチと呼ばれる中盤の底で日本代表のキャプテンとして評価されるまでになりました。

さらに代表を引退してからは、ドイツのトップリーグでさらに後ろのDFとして大活躍しました。もし長谷部誠選手が攻撃的なポジションにこだわっていれば、並の選手として終えていたのかも知れません。

長く活躍しているミュージシャンで考えても分かりやすいと思います。デビューした頃とは全く違う音楽性に変貌している事は珍しくありません。

自分のやりたい音楽だけで生き残っているミュージシャンは稀です。ほとんどの人が時代や流行を適度に取り入れています。2000年頃は多くのミュージシャンがラップに挑戦していたものです。

だからといってこだわりを全て捨てたわけではありません。シングルのA面には話題になりそうなポップな曲にする一方で、B面やアルバムの一部にこだわった楽曲を潜ませていました。

私が大好きなエレファントカシマシというバンドは、デビューしてから8枚目のアルバムで一気にブレイクしました。それまでもコアなファンには熱狂的に受け入れられていたのですが、セールスに結びつかずに所属事務所やレコード会社との契約を切られたりと、苦難の日々をおくっていました。

デビューして8年後に出した「悲しみの果て」というポップな曲をきっかけに、どんどんタイアップが増えて一流ミュージシャンの仲間入りをしたのですが、それから数年後に再び昔の攻撃的な歌詞の「ガストロンジャー」という曲を発表して、大きな話題となりました。

昔ながらのファンが大喜びしただけでなく、世間にも譲れないこだわりを届けることに成功したわけです。

ある大物演歌歌手は若い頃の歌唱トレーニングで先生に認めてもらえず、なかなかデビュー出来ずにくすぶっていたのですが、ある時に自分のこだわりを捨てて先生が喜びそうなこぶしを効かせた歌い方に変えたところ、直ぐにデビューが決まりました。

しばらくしてある程度の評価をされた頃に、自分の歌いたい曲で勝負したところ、大ヒットして紅白に出場するまでになりました。

サッカー選手や歌手のような世界が、そのまま一般人に当てはまるとは限りませんが、ちょっとした仕事の内容や家族間の問題でも、余計なこだわりがわだかまりの原因になる事があるのではないでしょうか。

絶対に譲れない信念やこだわりを保つ為にも、捨てた方が良いこだわりもあるのではないでしょうか

大切な家族を守る為に必死に仕事を頑張って出世を目指していても、残業や休日出勤が増えて家族との時間が失われてしまうと、大切な家族を守っていることにはならないかも知れません。

大きな家や車でなくても、子供は休日にキャッチボールをする事を望んでいるかも知れません。

本来の目的にフォーカスすることで、あえて捨てた方が良いこだわりといったものが、見えてくるのではないでしょうか。

中途半端なこだわりを捨てた方が、何かと身軽になってフットワークも良くなるものですよ。

まとめ 捨てるほどに選択肢は広がる!

たまに蕎麦屋なのにカレーが名物だったり、ラーメン屋なのに焼き鳥が有名だったりするお店がありますが、私はこのようなこだわりのなさに好感をもちます。

店主が初めに志した道ではなかったとしても、お客さんの事を第一に考えていった結果が見て取れるからです。

「お客さんが美味しい料理を食べて笑顔になってくれるのが嬉しい」

といった目的であれば、料理は蕎麦やラーメンでなくてもOKなわけです。本音では蕎麦で勝負したいと思っていても、商売を成り立たせる為に潔くこだわりを捨てている姿に好感を持ちます。

蕎麦だけにこだわっていたら、とっくに潰れていたかも知れませんし、そのこだわりを捨てたおかげで蕎麦も継続することが出来ているのかも知れません。

もちろんこだわりを持つ事が悪いわけではありませんし、譲れないこだわりもあると思いますが、譲れるところまでこだわり過ぎてしまうと、本質から遠ざかってしまうのではないでしょうか

節約でも何から何まで節約するのが良いわけではありません。私は冷蔵庫や炊飯器を手放していますが、絶対に譲れないという人も多いと思います。

ただ世間の常識といった基準でこだわってしまうと、本当に自分に適したライフスタイルには近づくことは出来ません。最新のキッチンには製氷機や食洗機などが組み込まれているものですが、ろくに使いもしない機能のせいで余計なスペースを奪われたり、電気代が掛かったり、メンテナンスの手間といったものが増えてしまいます。

それほどこだわりがない箇所にまで中途半端にこだわりを入れてしまうと、余計なリスクを抱えることになるので、気をつけてほしいと思います。

この辺は当ブログでも何度も紹介している純セレブスピーカーについても当てはまるのですが、気持ちいい音楽を聴きたいという目的であれば、見た目がダンボールでも中国製のスピーカーやアンプでも関係ありません。

国産にこだわって同じ音質を求めるとなると、何十倍もの費用が必要になってしまうかも知れません。

スピーカーをインテリアの一部としてもこだわりたい人には向いていませんが、気持ちいい音を楽しみたい人にとっては、最高の選択肢となり得ます。

中途半端なこだわりを捨てるほどに、選択肢が広がってベストな物を選びやすくなるので、捨てられるものはどんどん捨ててしまいましょう。

断捨離で物を捨てるとスッキリとするのは、物理的な空間の問題だけではなく、精神的な空間にゆとりが生まれるからです。大切なこだわりを活かす為にも、中途半端なこだわりは捨て去りましょう。

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節約はレジャーを書いている人

光司

光司

離婚を経て人生のどん底を味わってから節約に目覚めたアラフォー男子の光司(コウジ)です。 実際に役に立った節約情報やオリジナルの節約方法を紹介します。 お金のかからない健康法や節約が上手くいく人の考え方など、様々な観点から節約について紹介するブログを目指しています。 より詳しいプロフィールはこちら⇒ [詳細]

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