一杯のかけそば・・・
「一杯のかけそば」なる小説が流行したことをご存知でしょうか。その後に映画化されるほど話題になった作品です。
簡単なあらすじを紹介すると、大晦日の閉店間際のお蕎麦屋さんに、母一人、息子二人の親子が訪れ、「かけそば」を一杯だけを注文します。
それを察した店主が気を利かせて、大盛りにサービスしてあげる、といったお話です。
話題になった頃は「一杯のかけそば」は美談として広がったのですが、その後様々な矛盾を指摘されブームは沈静化されたそうです。
「一杯のかけそばを支払えるお金があるなら、自宅で三人前の蕎麦を食べられる」
などと言われてしまいました。節約という意味では正しいのかも知れませんが、このような考え方だけだと、少し残念なことになるかも知れません。
私自身も節約を心掛けている身ではありますが、この辺のバランスを意識できないと残念な節約になってしまうので気をつけたいポイントでもあります。
節約の視点
節約ということだけを考えれば、一杯のかけそばよりも自宅で乾麺の蕎麦を茹でるなり、スーパーで売られている安い生麺の蕎麦で作ったほうが、コストパフォーマンスが高いのは間違いありません。
スーパーに行けば激安の蕎麦なら三玉入って100円ぐらいで購入出来ます。
そのような指摘をする人の言い分もわかりますし、子供たちのお腹を満たす為には、その方がいいのかも知れません。
ですが、その貧乏な母親は大晦日の年越しそばというイベントを、子供たちに伝えたかったのではないでしょうか。
自宅で使い慣れている器で蕎麦を作るより、お蕎麦屋さんの店内の雰囲気や盛り付け方も含めて、子供たちに体験を伝える事ができるわけです。
いつも貧乏で辛い思いをさせている子供たちに、「せめて大晦日だけでも雰囲気を変えて楽しい外食を・・・」という気持ちがあったのだとすれば、「一杯のかけそば」は素晴らしい決断だったと私は思います。
お腹を満たすためだけに、「一杯のかけそば」を頼んだのではないと考えると、様々な気づきが得られるものではないでしょうか。
子供たちがガリガリで栄養失調のような状態であれば、質や体験よりも量を選んだ方が良いとは思いますが、そうでなければ母親の決断は決して悪いわけではないはずです。
贅沢の感じ方
贅沢というのは日常との落差で感じるものです。日頃からお寿司や焼き肉が当たり前の家庭の子供には、ご馳走を聞いても答えが返ってこないといいます。
「一杯のかけそば」に登場する子供たちにとっては、あのかけそばは最高のご馳走だったのではないでしょうか。
そこでお店側が気を利かせ過ぎて三杯のかけそばを出してあげたり、天ぷらを乗せてあげるような事をしてしまうと、母親は複雑な気持ちになったことでしょう。
気づかれない程度の大盛りをしてあげた店主も粋ですし、お客さんの精一杯の背伸びを上手く汲み取ってサービスしてあげたのも素敵です。
何をもって贅沢だと感じるかというのは、人それぞれ違って当たり前ですし、誰かの基準で判断するものではありません。
私なんかはコンビニ弁当を購入する事は、ちょっとした贅沢だと感じるのですが、外食に慣れている人だとコンビニ弁当で節約をすると考える人もいます。
「一杯のかけそば」も、お蕎麦屋さんの雰囲気や明るい照明、店員さんの笑顔の接客、香り、湯気なども含めて、その親子にとって贅沢な体験だったのではないでしょうか。
お腹を満たす為だけの「自宅での三杯のかけそば」では得られない贅沢を、母親は子供たちに体験させたかったのだと考えると、私は素敵な話だなと感じます。
節約と贅沢
たまに節約をすることだけが目的になってしまっている人がいるのですが、そのような状態だと「一杯のかけそば」には感動出来ないのかも知れません。
また合理的な考え方も行き過ぎてしまうと、コストパフォーマンスばかりに囚われる事になってしまいます。
節約の先に目標なり目的がない人は、おそらくこのような贅沢が出来なくなってしまいます。
それほど大きなお金を掛けずとも体験できるような事まで、徹底的に避けてしまったり、合理的な判断で自分の気持ちを押し殺してしまっていると、いつしか自分の気持ちまで分からなくなってしまうかも知れません。
何かしらの目的の為に節約をしている人というのは、少しずつ溜まっていくお金にゲーム性を感じられるようになり、はたから見ると我慢して辛そうに見えていても、本人は楽しんでいるものですが、節約だけが目的になってしまったり、合理的な判断だけになってしまうと、大切な何かが欠けてしまいます。
「一杯のかけそば」に対して否定的な意見を述べる人というのは、そちら側に当てはまっているように思えます。
まとめ 節約の先
豪遊をすることだけが贅沢ではないように、お金を節約することだけが節約ではありません。
お金をかけずに贅沢をすることも出来ますし、お金をかけても贅沢にならないこともあります。
当ブログは様々な節約テクニックを紹介しているわけですが、あくまでも何かしらの目標の為に節約が役に立つのであり、節約そのものが目的になってしまわぬように気をつけてほしいと思っています。
節約をする理由は人それぞれですが、その理由から遠ざかって不幸な節約をしている人も多いように思います。
家族旅行の為に節約をしていたはずなのに、極端な節約で体調を崩してしまったり、家族との関係が悪くなってしまうと、せっかくの旅行も楽しめなくなってしまいます。
一方で節約をする理由、目的が明確になると節約の道筋が見えやすくなります。
何の為に家族旅行をしたいのかと考えると、大切な家族と楽しむ事や家事を頑張っている奥さんをねぎらう事だったという基準が見えてくるので、旅行先の選択基準も変わっていきます。
旅行の移動時間や体調管理も含めて考えると、最適な旅行先というものが見えてきますし、帰宅した時に「やっぱり自宅が一番だなぁ~」とつぶやいて、奥さんに「お茶!」というような事にはならないものです。
家事が溜まっている奥さんが旅行から帰ってきて大忙しになってしまうと、「もう旅行はいいや」となってしまうかも知れませんし、当初の目的から逸れていってしまいます。
節約も同じで、節約そのものが目的になってしまうと、最適な道筋が見えてきません。暗中模索しながら回り道をしてしまいますし、周りの人への迷惑を顧みなくなってしまうと、当初の目的だったはずのものが達成できなくなってしまいます。
改めて何のために節約をしたいのか、よくよく考えてみてほしいと思います。
理由が明確になればなるほど、進むべき節約の道筋が照らされて、楽しく節約生活を進むことが出来ます。
きっとその道の先には、
あなたにとっての「一杯のかけそば」があるはずです。
誰にとっても当てはまる贅沢がないように、自分や家族にとって最高の贅沢である「一杯のかけそば」が見つけられると、余計なお金を掛けずとも楽しい人生になっていくものですよ。
コメント
『一杯のかけそば』流行った頃高校生でひねくれていた私は祖母が「店なんかでかけそば分け合って食べるくらいなら、スーパーでそば買ってきて食べた方がマシだ」と奇しくもタモリさんと近似した事を言っていてソレを聞いた私は『一杯のざるうどん』というパロディーを書いて友人にみせていましたが、担任に見つかり「心暖まる名作を汚す真似して茶化して、お前には人の心が無いのか!!」とまで罵倒されました。
後に原作者が詐欺紛いの行為で捕まったと聞いた際には快哉を叫びましたが、当時の担任に置かれてはどの様な心境であっただろうか。
by 鈴本 鶴七