いただきますの意味
「いただきます」という言葉の由来は、神様にお供えした食べ物をもらうことです。
高いところ(頂き)にお供えした食べ物、いただきから頂戴いたします⇒「いただきます」となったと言われています。
また仏教でも生き物の命を頂くことへの感謝、調理者への感謝を込めて、真剣に食べることは修行の一つと言われています。雑談しながら適当に食べるのではなく、ありがたく命を頂く為に音を立てずに食べます。
これは逆に考えるとわかりやすくなります。もし地球上に人間よりも優れた生命体がいるとすると、人間も家畜のように管理される立場になるのかも知れません。
その人間よりも優れた生命体(食物連鎖の頂点)が食事をする時に、談笑しながら、テレビを見ながら、適当にぽろぽろこぼしながら人間を食べているのと、感謝しながら真剣に残さず食べるのでは、どちらが良いのかという話です。
これは極端な話ではありません。地球上の生物の弱肉強食とはそういうものです。
これらのことを自然に理解している昔の人は、苦労して手に入れた食べ物への感謝を忘れませんでした。
現代人のように食べきれないほど注文したり、少しぐらい不味いからといって食べ物を残すということは、命を無駄にするということです。当然「いただきます」という言葉が出てこないわけです。
自然界の動物は食べきれないほどたくさんの獲物を殺すことはありません。たとえ大きな獲物で食べ残すことになっても、ハイエナや鳥や虫や細菌の食糧になります。人間界のような燃えるゴミにはなりません。
お腹がいっぱいのライオンの前にムーの群れが通りかかっても襲うことはありません。
人間の食糧だけが命の無駄を生んでいます。
昔は犬のエサになったり、たい肥になったりもしたのですが、現代では多くが燃えるゴミになります。
わざわざ地球の裏側から石油を使ってまで運んできた食糧(ブラジル産鶏肉など)を、平気で残す人がいるものです。
これこそが「いただきます」の意味をわかっていないということです。
一方で食事をする時にここまで想像できる人は、食べきれないほどの注文をすることはありません。必要以上に食べることもありません。
自然と生き物へ感謝しながら「いただきます」と言える人というのは、命を頂いていることを実感している人ということです。リアルに命を奪っていることを理解している人です。
このような人は自分の欲を満たす為だけの選択をせず、より多くの人のことを考えて選択できるものです。これこそがリーダーとしての資質であり、大成するのも自然な流れなのではないでしょうか。
命のリアルさ
昔の人から比べると、現代人は命を頂くことをリアルに感じにくくなっています。畑も家畜も身近ではありません。
命を頂く為に動物を絞めるということを想像しにくい時代です。
中国で犬や猫を食べるという文化が紹介されると、世界中で「なんて酷いことをするのだ」「かわいそうだ」と非難されるのは、多くの国で犬や猫をリアルに感じられるからです。
一方で聞いたこともない可愛らしい動物を食べても非難されません。その可愛らしい動物をリアルに想像できないからです。
心から「いただきます」と言える人というのは、あらゆる食べ物が元々生きていたことを想像できる人ということです。
畑で野菜を育てることの大変さを知ると、スーパーで売られている見事な野菜を育てることの大変さをリアルに感じられるようになります。生産者の努力をありがたく感じるものです。安易に残すようなことはしなくなります。
経験のない方はカイワレ大根でもいいので自分で育ててみてください。それだけで様々な気づきが得られると思います。
「いただきます」と言わない人
「いただきます」と言わない人の中には、大きく二つに分けられます。
ただ言っていなかった人と、あえて言わない人です。
前者は教育や文化の違いということです。育ってきた環境で「いただきます」と言う習慣がなければ自然と身に付くことはありません。必ずしも学校や職場などで学ぶ機会があるとも限りません。
このような人は何かのきっかけで命と頂くことをリアルに感じ取ると、心から「いただきます」と言えるようになる可能性があります。それこそカイワレ大根を育てることがきっかけになるかも知れません。
一方で後者の「いただきます」と言わない人というのは、言う必要がないと判断している人のことです。
- 「お金を払っているのだから関係ない」
- 「俺が絞殺したわけではない」
- 「感謝したところで意味がない」
のような発想の持ち主ということです。
後者の発想の人が大成しないのは誰もが納得できると思います。相手のことを考えられず、想像力もありません。自分の基準でしか物事を判断できない人に誰もついてきません。
一方で前者の人は別です。必ずしも「いただきます」と言っていないからといって、未熟な人だとは言えません。もしかしたら「いただきます」と言葉に出さないだけで、本質を理解しているケースもあります。
また形だけの「いただきます」を言う人が大成するとも限りません。
「いただきます」が単なる習慣になっているだけの人もいます。知識や経験の少ない子供のうちは仕方がありませんが、大人になっても知識や経験が積み重なっていないと、リアルに生産者や生き物のことを想像できません。
トイレの後で手を洗う時に、サッと手に水をつけて終わりという男性は多いものです。全く手を洗えていません。適当に「いただきます」というのも同じで、形だけ行っていても本質を理解しているとは限りません。
「いただきます」という人が大成する理由
一方で心から感謝しながら「いただきます」と言っている方は、
- 「人前だから恥ずかしい」
- 「一人の時は言っている」
- 「心の中では言っている」
のような逃げは一切ありません。しっかりと手を合わせて「いただきます」と口に出して言います。子供のように形だけの「いっただっきまーーーす」のような言い方ではありません。
- 調理をしてくれた料理人、家族
- 食材を運んでくれたトラック運転手
- 加工や保管をしてくれたスーパーや工場
- 食材の生産者、農家、酪農家、漁師
- そして生き物への感謝
目の前の料理を観て、これらをリアルに想像出来る人は自然と感謝が湧き出てくるものです。「いただきます」と言わないと申し訳なく感じるほどです。ちょっとぐらい美味しくないからと残すようなことは決してしません。
さらに細かいことを言えば、器や箸の生産者を想像することも出来ます。料理の知識がある人は食材の切り口から、調理道具や料理人の腕まで想像することが出来ます。
山奥で頂くお刺身であれば、鮮度を保つ技術や運搬方法に想いを馳せることができます。魚にストレスのかからない工夫をしている漁師さんや運送業者を想像することが出来ます。
このように日ごろから感謝をする習慣がある人というのは、相手や対象を深く知ることになります。
一方で自分本位で相手に興味がないと、何も学ぶことはありません。
日頃から感謝が多いと自然とあらゆる情報がなだれ込んできます。食材の鮮度に思いを馳せたことがあると、街ゆく冷凍トラックの多さに気がつきます。渋滞の少ない深夜に走っているトラックの多さに気がつきます。テレビで漁師さんの特集を観ると一気に情報がつながります。
一方で適当に同じテレビ番組を観た人には、テレビの製作者が伝えようとしている魚の大きさや味などのわかりやすい情報しか入ってきません。
全く同じ情報でも受け取る側の意識によって、得られる情報量はまるで違います。
サッカーの初心者はシュートの凄さばかりに目がいきますが、サッカー経験者は得点者の為にスペースを開けた周りの選手の働きや、アシストした選手の技術などに気づくことが出来ます。
もしくはディフェンダーのよせの甘さや、キーパーのポジショニングの悪さなどが理由かも知れません。素人には凄いシュートに見えても、玄人が同じように判断するとは限りません。
日頃から「いただきます」と自然に言える方も同様です。様々な想いを馳せることができるので感謝が多いということです。
年に一回の初詣ぐらいでしか感謝をしない人と、毎日感謝をする機会がある人では、どちらが人間として素晴らしいのかわかると思います。
心から「いただきます」と言える方は相手の事を想像する力を持っています。だからこそ、膨大な情報量が流れ込んできます。
これはあらゆる仕事へ活きてくる能力です。全く同じ問題や調査結果を見ても得られる情報量は同じではありません。より深く考えられる能力があると、より問題の本質に近づくことができます。大成するのも自然な流れです。
必ずしも「いただきます」を言う人に、この能力が備わっているわけではありませんが、日々の習慣として自分のことだけを考える人と、相手のことまで考えられる人では能力に大きな差が生まれるということです。
これが心から「いただきます」と言える人が大成しやすい理由です。
まとめ 足元を見る
ホテルの従業員はお客様の靴を観て、どのような人物なのかを判断すると言います。
洋服は簡単に着飾ることが出来ても、靴にまで意識が回らない人は多いものです。
新しい革靴は硬くて歩きにくいものです。旅行でそのような靴を選ぶ人は旅慣れていないのかも知れません。靴擦れを起こして歩き姿にも影響があるのかも知れません。
一方で足に馴染んだ靴は手入れを怠ると無残な姿になります。適当に靴紐を結んでいるようでは革はすぐに伸びてしまいます。
靴を脱ぐときに靴同士を擦りあわせていると踵の内側が傷だらけになります。靴べらを使わずに押し込んでいるとブカブカになってしまいます。スリッパのように引きずりながら歩いているかも知れません。
靴一つとっても得られる情報量は多いものです。そこに意識が向かない人は何も情報が得られませんが、日頃から相手に想いを馳せている人には様々な気づきが得られます。
これは高級な洋服や革靴が偉いということではありません。その人の考え方がよく現れやすいのが靴に対する扱いということです。
同じように「いただきます、ごちそうさま」にも様々な情報が含まれています。習慣的に口だけで「いただきます」と言っても、食べ残しだったり、ご飯粒が茶碗に残っている人だと、上辺だけの人だとわかるものです。
逆に素晴らしい人の凄さにも気がつくことができます。きちんと「いただきます」という言うだけではなく、食べる時の姿勢や箸の使い方、手の添え方まで洗練されていることに気がつきます。
何となく品がある人というのは誰もが感じることが出来ますが、相手に興味を持つとそれらの細かな理由まで見えてくるようになります。逆に相手に興味を持たないと何となくのままです。
理由がわからない(見えない)ので、容姿や環境のせいにして自分を顧みることがありません。それでは成長することもありません。「あいつは顔がいいだけだよ」と悪口を言う程度の人間です。
一方で相手のことを考えながら様々な気づきが得られると、自分の質もどんどん向上していきます。相手の粗や良さがわかるように、自分の粗もわかるようになります。これが大成に近づく理由です。
また食事を大切にするということは、自分の体調にとっても大切なことです。必要十分な量をキープ出来れば太ることはありません。
ちなみにある心理学者が言うことには、「いただきます」と言う人は、言わない人に比べて食事の満足感が早く得られる傾向があるそうです。
感謝しながら食べるので当然の結果ですが、テレビを見ながら適当に食べていると満足感が得られないのも当然の結果なのではないでしょうか。要するに食べ過ぎるわけです。
食べることは、他の命を頂いて生きることです。
日々を大切に生きている人は適当な食事をとることはありません。手術を控えた入院中の子供に「明日、君の為にホームランを打つよ」と約束したプロ野球が、その日の夜にカップラーメンを食べたり、飲みに出歩くことなどあり得ません。
日々を大切に生きている人、真剣に未来の目標に向かって生きている人は、あらゆる事と真剣に向き合います。これは食事だけではありません。睡眠の質も重視します。人間関係が円滑でないとストレスになるので、家族や親せきや上司に対してもしっかりと対応できるようになるものです。
すると挨拶の大切さにも気がつきます。身体をつくるための栄養の大切さにも気がつきます。そして改めて命を頂いていることに気がつきます。目標の為にあらゆることが繋がっていると気がつきます。するとあらゆる事に感謝するようになるものです。
大成する方というのは、あらゆる本質に気がついています。だからこそ挨拶や姿勢や表情まで魅力的になります。それらが自分の目標に繋がっていることを理解しているからです。
その一つに「いただきます」が含まれています。
大成したいから「いただきます」と言うのでは、お金持ちになりたいから「トイレ掃除をする」ようなことで、本質から大きく外れてしまいますが、命を頂くことに感謝して心から「いただきます」と言える人は、本質を見極める能力が磨かれていくので、大成する可能性が高くなります。
心から「いただきます」と言っていない方は、まずは子供のように形からでもいいので、きちんと「いただきます」と声に出して言ってください。少しずつでもいいので、命を頂くこと、生産者の努力、関わりのあった人達をリアルに想像してみてください。
その想像の臨場感が高まるにつれて自然と感謝が生まれてきます。必要以上に食べることも、無駄に注文することも、残すこともなくなると思います。これは節約にとっても大いに役立ちます。
そして感謝があると食べ物が美味しくなります。これも忘れないでください。
全く同じ成分の同じ食べ物だとしても、そこに感謝の情報が加わると美味しくなります。正確には美味しく感じられるようになります。
茄子が苦手な子供でも畑で自分で収穫すると食べられるようになるものです。これが情報の付加価値です。子供が生産者側の苦労という情報を学ぶことで茄子への解釈が変化します。
他にも大好きな人が作ってくれた料理は美味しく感じられると思います。自分の子供が初めて作ってくれた料理は、親にとっては最高に美味しい料理なのではないでしょうか。
子供が描く下手くそな親の似顔絵のようなことです。親にとってはピカソやラッセンより大好きなはずです。
いつも何気なく食べていたお菓子でも、テレビでその商品が開発された経緯や歴史を知ると美味しくなるものです。全く成分が変わっていなくても、食べる側の心構えで美味しさは変わります。
これが「いただきます」の凄さでもあります。
「いただきます」と言いながら、目の前の食べ物に感謝をしながら想いを馳せるということは、過去の自分の経験や記憶を使って情報を付加するということです。
たくさんの感謝を感じられるほど、美味しく感じられます。
心から「いただきます」と言う人が大成する理由、わかっていただけたでしょうか?
「いただきます」「ごちそうさま」の本質を理解すると、言わない方が気持ち悪くなるほどです。
あえて別の言い方をすれば、「いただきます」とは感謝するテクニックです。積極的に感謝する機会を探し出す技法です。一年に一回の初詣で感謝をするのもいいですが、毎食感謝する機会があるとそれだけ多くの幸せを感じられるのではないでしょうか。
追記
生き物への感謝がイメージできないという方は、「銀の匙」というマンガを読んでみてください。
都会で育った青年が農業高校に通うことになり、様々な気づきを得ながら成長していく物語です。
大切に育てた家畜を出荷したり、その家畜を涙ながらに食べるシーンは必見です。
「銀の匙」を読み終えた頃には、自然と「いただきます」と手を合わせたくなると思います。