飽食の時代
現在の日本ほど飽食の時代はありません。
私は北海道に住んでいますが、香川県名産の「さぬきうどん」や「沖縄料理」など当たり前に食することができます。
さらに外国の料理も気軽に食べられる環境になりました。中華料理やイタリアンのようなものだけではなく、最近ではトルコ料理店やカンボジア料理店まで見かけることがあります。
テレビや雑誌では様々な料理、スイーツが日々紹介されています。
また最近では有名人だけではなく、一般人までSNSで美食自慢をするようになりました。
話題の料理、珍しい料理を食することが、一種のステータスになっていると感じます。
それらを否定したいわけではありませんが、必ずしもそのような料理ばかりを食している人が健康だとは限りませんし、実際に食した時の満足度が高いとも限りません。
食事をした時の満足感というのは、料理の見た目や味や栄養価だけで決まるものではありません。意外と豪華な食事をしている人の方が、食事による満足度が低くなっている事があるものです。
外食の味付け
基本的に外食の味付けは濃く設定されています。大抵の料理は濃い味付けの方が美味しく感じられますし、お酒を提供しているお店なら味付けが濃い方が喉が渇いて飲み物の注文を増えるので尚更です。
自宅では薄味で料理をしている人でも、たまの外食ぐらいならと濃い味付けを喜ぶものです。
これがたまになら問題はないのですが、外食(加工食品を含む)ばかりに偏っていると、それが当たり前になってしまうので、普段とは違う満足感が得られませんし、栄養過多といった問題が出てきてしまいます。
多くの料理人も自宅で作る料理の味付けは抑えているものです。仕事で提供する料理とは区別しています。
いわゆる外食する機会の多い美食家と呼ばれるような人ほど、塩分、油分、カロリーなどの取り過ぎになりやすくなります。実際に太っている人が多いものです。
また常に濃い味付けに慣れてしまっているので、食材の味を活かした薄味の料理では満足できなくなってしまいます。
私の例でいうと、たまにマクドナルドでハンバーガーを食べると凄く味が濃くて美味しく感じるのですが、日頃から食べなれている人ほどシンプルなハンバーガーでは満足できないので、より味付けの濃い高価なハンバーガーを選ぶようになります。
私がたまに食べる100円のシンプルなハンバーガーより、500円ぐらいする豪華なハンバーガーを食べている人の方が、必ずしも満足しているとは限りません。
毎日豪華な料理を食べているお金持ちを羨ましがる気持ちは分からなくもないですが、当人たちにとっては日常的な事なので、周りの人が思っているほど楽しめません。
これが美食家と言われている人ほど食事による満足度が低い傾向が強いという事です。美味しい料理を知っているだけに要求も強くなり、ちょっとした料理では満足できなくなってしまいます。
これをしっかりと理解できると、いつも美味しい物ばかりを食べている人の事が、それほど羨ましくならなくないのではないでしょうか。
極端な事をいえば、ホームレスのような人がたまにありつけるコンビニ弁当を食べた時の満足感というのは、一般の人が高級レストランで食事をした時よりも大きいような事です。
美味しいと感じるメカニズム
脳が何かしらのものを食べて「美味しい」と感じる理由は、体に必要な栄養素(不足していた栄養素)が入ってきた時です。
お腹が空けばなんでも美味しく感じるものですが、逆に満腹の時は何を食べても美味しく感じられません。
喉が渇いている時に飲む水道水と、喉が満たされている時に飲むミネラルウオーターでは、どちらが満足感が高いのかわかると思います。
料理の質が全く関係ないわけではありませんが、自分の身体の状況の方が美味しさを左右するのはイメージできのではないでしょうか。
三食とも栄養バランスの優れた食事をしている人というは、それほど栄養は不足しません。
そもそも脳が欲している栄養素がない状態なので、「○○を食べたい」という強い欲求が沸き起こりません。
過去に美味しかった食事の記憶から選択する事はできますが、大抵はその時に身体が求めていた栄養と違うので、前に食べた時よりも満足できなくなってしまいます。
一方で日頃から質素な食事をしている人ほど、栄養が不足しやすくなります。一定のラインを超えると脳が「○○を食べろー」と強く訴えてくるようになります。
誰もがそれほど好きでないものを無性に食べたくなった経験があると思いますが、まさにそれが脳が現在の身体に不足している栄養素が含まれている食品を食べるように促してきた証です。
この状態の時に食べると、もの凄く満足感が高い食事になります。
汗をかいて水分が不足している状態で飲む水のように、身体に染みわたっていくような美味しさを感じる事になります。
要するに「凄く美味しい」と感じます。実際に脳内に快楽物質が溢れ出ます。
一方で美食家のように常に必要以上の栄養を摂取していると、この不足していた栄養が見た刺された時の満足感が得られにくいだけでなく、不必要な栄養を消化吸収する為だけに内臓も疲弊してしまいます。
食べ疲れや胃もたれのような症状が分かりやすいのですが、「脳がもう食べなくてもいいよ」とサインをおくっているのに、「決まった時間に三食しっかりと食べないと健康に悪い」のように考えてしまっていると、食事により美味しさが感じられないだけでなく、身体の負担になってしまいます。
胃薬を飲んでまで無理やり食べるような事をしてしまうと、どんどんダメージが蓄積していってしまいます。
風邪を引いた時に食欲が落ちるのは、食べた物を消化するだけでたくさんのエネルギーが奪われるからです。そこにエネルギーを使うよりも免疫力を活性化する事にエネルギーを集中した方が早く治るので、脳がわざわざ食欲を落として余計な運動をさせない為にだるさや関節の痛みなどを生み出しています。
そのような症状を薬で抑えて普段通りの生活をしてしまうと、風邪が長引いてしまうわけです。
日常的に豪華な料理をたくさん食べている人というのは、脳からのサインを無視し続けているような状態なので、食事による満足感が得られないだけでなく、身体の負担になってしまいます。周りの人がうらやむほど、食事で満足感を得ているとは限りません。
また美食家は美味しい料理を知っている事のデメリットもあります。
美食家ならではの苦悩
美食家というのは一流の食事を知っているだけに、判断基準が研ぎ澄まされています。
様々なラーメン屋を食べ歩いているような人は、滅多に満足できる美味しいラーメンに出合えません。
- ○○がいまいち・・・
- スープの温度が温いかな
- チャーシューは○○の方が美味しい
- このスープならちぢれ麺よりストレートな太麺の方が良いな
のような感じで、知識があるだけに粗が見えてしまいます。
一方で私のように滅多にラーメン屋に行かない人というのは、たまにラーメンを食べたくなったタイミングで訪れると、どこでも大満足できてしまいます。
行列の出来ている人気のラーメン屋さんに並ぶ必要もありませんし、高価なラーメンでなくても構いません。普通のラーメン屋でも大満足してしまいます。
これはモテる人の人生で考えてみると分かりやすいかも知れません。相手を選び放題のモテる人ほど、経験豊富で相手の粗が見えてしまいます。
一方でモテない人がようやく出来た恋人というのは、あばたもえくぼで幸せいっぱいになるような事です。
絶世の美女を抱え込んでいた秦の始皇帝や大奥がある殿様が、必ずしも最高の営みを出来ていたとは限らないわけです。
傍から見ると羨ましい限りですが、モテない人が努力を重ねてようやくできた恋人との初めての営みと比べると、どちらの脳の方が快感を得ているのかイメージできるのではないでしょうか。
飽食の日本では誰もが簡単に昔の王様のような豪華な食事にありつけてしまいますが、それだけに食事による満足感を得ている人も減ってしまいました。
誰もが質素な食事だった昔の人の方が、たまに食べるご馳走によって大満足していたものです。
まとめ 自分の身体の声を聴こう
私は刑務所に入ったことがありませんが、そのような人が書いた本を読むと、出所後に初めて食べる食事の満足感の高さが、活き活きと表現されているものです。
少し前に見た洋画では、お金持ちの主人公がテロ組織にしばらく捕まってしまい、ケガをしながらもなんとか脱出して仲間の元に辿り着いた時に、真っ先に「チーズバーガーを用意しろ!」と言っていたのが印象的でした。
刑務所の食事は質素で薄味なのだそうです。彼らはとてつもない幸福感(美味しさ)を得られたのではないでしょうか。
戦後のように貧しかった時代であれば、誰もが質素な食事であり、たまに食するご馳走に目を輝かせていたのではないでしょうか。
そのご馳走を食べた時の満足感というのは、現代人が星付きレストランで食事をしたときよりも、ずっと高いと思われます。脳内に快楽物質があふれ出ていたはずです。
現在の日本は飽食の時代だからこそ、食事の満足度が失われています。期待感や楽しみが薄れてしまいました。
先日、太っている人が言っていた言葉に衝撃を受けました。
「そもそもお腹が空かないのよ、常に何かしら食べているから」
このような状態では何を食べても美味しさなど感じられるわけがありません。食事の良しあしについて語ることは出来るのかも知れませんが、それは脳が美味しいと感じることとは別物です。
飽食の時代だからこそ、食事を自分でコントロールする必要があります。普段はあえて質素な料理を心掛ける事で、特別な日の食事による満足度を上げる事ができます。
ここを意識できないと惰性で食べ続けるようになり、太ってしまうわけです。
節約家で太っている人は少ないと思いますが、節約の為に仕方がなく質素な食事をしていると思わないでください。
あえて食事を日々コントロールしているのだと自信をもってください。
日頃から質素な食事を心がけている人が、たまに食べる濃い味付けの外食というのは、とても満足度が高くなります。美食家が同じような満足感が得られるのは、半年前から予約しないと食べられないレストランで食事をした時ぐらいなのではないでしょうか。
美食家ほど知識や経験があるだけにハードルが上がっているので、食事で大満足する機会が多くありません。
質素な食事を心掛けている人の方が、ずっと簡単に美味しい食事にありつけるようになる理由が分かっていただけたでしょうか。身体にとっても負担にならないので健康にとっても大切な事です。
そして自分の身体の声に耳を傾けてみてください。たまに「○○が食べたいな~」と感じた時は、我慢せずにそれを食べてください。
脳がその時に必要だと判断した栄養素が含まれている食事なので、マラソンを走り終えたランナーが飲む水のように、最高に美味しく感じられるはずです。
一方でそのような声がない時は、質素な食事でOKです。必要以上に身体に栄養を入れないでください。
どんなに好きな食べ物でも食べ過ぎると美味しく感じられません。好きな食べ物よりも、その時々で食べたい食べ物を選んでください。
ちなみに私はレバーや牡蠣が苦手だったのですが、ある時に無性に食べたくなって食べてみると最高に美味しく感じました。あまりの美味しさに次の日も食べてしまったのですが、その時はたいして美味しく感じませんでした。
身体が必要としている栄養を摂取することこそが、最高に身体に良くて美味しい食事になってくれます。
そもそも味覚というのは、それを判断する為に進化してきたものです。身体に必要のない栄養や毒は不味く感じて吐き出すように出来ています。
逆に本当に身体に必要な栄養が含まれていると、美味しいと感じさせてくれます。
現在の料理は様々な味付けがされている事もあり、食材が本来もっている栄養と味のバランスが崩れているので、本当に必要な栄養が含まれている食事を見つけにくくなっています。
だからこそ、日ごろは質素な食事を心掛けて、栄養過多にならないようにする意味があります。
食材が持っている栄養をきちんと見極める為にも、なるべく過度に加工された食材は避けてください。手の込んだ料理ほど、脳が求めている栄養が分からなくなってしまいます。
ただ質素な食事といっても、ご飯やパンだけのような偏った食事という意味ではないので、そこは勘違いしないでください。
日頃は食べ過ぎにならないように気をつけ、あまり濃い味のものを避けるだけで十分です。
なにかの栄養が不足してくると、その栄養が含まれている食品を無性に食べたくなる時が来るので、そこで食べれば満足のいく食事になるだけでなく、内臓も不足している栄養をしっかりと吸収してくれるので負担になりません。
無駄な脂肪として蓄えられるだけに消化吸収をしていると、内臓はどんどん疲労してしまいます。脂肪として蓄えられなくても、体外に排出されるだけの栄養の為に、内臓に負担をかける必要はありません。
どんなに健康に良いと言われている食品でも過剰に摂取すれば毒になります。
現代の日本で普通に食事をしていれば、栄養失調になることなどまずないので安心してください。足りなくなった栄養は自然と脳が食べさせようと促してくるので、それから摂取しても十分に間に合います。
スポーツ選手のように極限まで身体を酷使するような場合は別ですが、多くの一般人は少し不足してから食べるぐらいで十分です。
無駄に内蔵に負担を掛けない為にも、特別な日に美味しい料理を楽しむ為にも、日頃から食事を質素しておく価値があるのではないでしょうか。
質素な食事しか出来ないと考えてしまうと辛いかも知れませんが、あえて質素な食事にコントロールしていると考えるようにしてみてください。
節約という意味でも安く済ませられるようになりますし、ここぞという時に予算も掛けやすくなるので食事による満足感を得られやすくなりますよ。
そもそも多くの病気は食べ過ぎが原因なので、単純に食費の節約ができるだけでなく、医療費の節約にもつながってくれるかも知れません。ダイエットサプリに頼る必要もなくなりますし、痩せる為だけに不必要な運動をする事も無くなるので、時間の余裕も生まれてきますよ!