幸せだと感じる理由
節約をする理由は人それぞれですが、たとえ節約そのものに苦痛を感じていたとしても、その先の目的に何かしらの幸せを感じているからこそ、節約を実践できるものです。例えば、
「旅行に行きたい!」
という明確な目的があれば、現在の多少の不幸せ(我慢、節約)を受け入れることができます。
その旅行で満足することが出来ると、また次の旅行へ向けて節約へのモチベーションにつながるのですが、その旅行であまり満足が出来ないと、
「やっぱり家が一番落ち着くわ~」
となってしまいます。
この理由は節約による苦痛と旅行による満足感、幸せ度の釣り合いがとれていないからです。
要するに「期待していたほど幸せじゃなかった」という状況です。
だからといって、より良い旅行を選択すれば問題なかったのかといえば、そうとは限りません。
人が幸せと感じる状況というのは、不幸せな状況との落差によって決まります。
飴と鞭
どんなに旅行が好きな人でも毎週のように旅行をしている人は、そう多くはありません。
食べ物でたとえるとわかりやすいのですが、どんなに好きな食べ物でも、毎食続けられる人は滅多にいません。
また一度の食事の時間の中でも、一杯目のビールと二杯目のビールでは、満足度は大きく違うものです。
運動して喉がカラカラの状態の人にとっては、水道水でも美味しいものですが、喉が渇いていない状態の人にとっては、オシャレなグラスに注がれた冷えたミネラルウオーターでも、一気に飲み干すことはありません。
旅行による幸せ、満足度も同じです。日常が退屈と感じている人ほど、落差が生まれて幸せを感じやすくなります。
日々家事に追われている主婦ほど、非日常(家事から解放)の旅行を求めるものです。
その旅行によって幸せを感じることが悪いとは言いませんが、旅行から戻ると退屈な日常が続くことになります。
たまにあるご褒美の為に日々を犠牲にしている状況です。自ら「飴と鞭」の状況を受け入れてしまっています。
現実逃避の為にお金を使っても、一時的な効果しかないので何も現実は変わりません。
鞭を減らす選択
10万円の旅行パックを飴とすると、退屈な日常は鞭です。
同じ10万円でも退屈な日常を解決するほうに使えば、日々のストレスが確実に減ります。
家事に忙しい主婦であれば、高機能な家電製品や家事代行サービスなどでしょうか。
自動お掃除ロボットやメンテナンスのしやすい掃除機、アイロンのいらない洗濯機や食洗機など、現代では主婦が負担に感じている家事を楽にする便利なものがたくさんあるものです。
旅行による満足感(飴)は一時的なものですが、日々の鞭を減らす選択をすると、継続的に日々のストレスを減らすことにつながります。
鞭を減らすと不幸せな状況が底上げされてストレスが減ります。
一時的な幸せを求めて(現実逃避)ストレスをかかえ続ける状況と、日々のストレスの少ない状況では、どちらが幸せな状況といえるでしょうか。
現実逃避ではない視点
決して旅行に行くことが悪いと言っているのではありません。心から旅行が好きな方は、どんどん行って楽しんでください。
幸せだと感じる状況というのは、不幸せな状況との落差と言いましたが、不幸せな状況が改善されていくと、この落差が少なくなります。
当然、一時的に幸せだと感じる満足度は少なくなります。
だからといって不幸な状況では決してありません。ここを混同しないことです。
仕事でたとえると、びっしり月曜から金曜までイヤな仕事を我慢しながら働き、週末だけ楽しむという人生と、毎日やりがいのある仕事に向き合い、休日は仕事の為に英気を養う人生のようなことです。
どちらが幸せな状況なのか、理解できると思います。
幸せだと感じるのは不幸せな状況との落差ですが、幸せな状況は別物です。日ごろから幸せな状況にいるとわざわざ特別な幸せを求めません。現実逃避を求めません。
週に一度しか満足な食事がとれない方だと、その食事の瞬間の満足度はとても高いですが、幸せな状況なのかといえば、決してそうではないはずです。
誰もが好きな仕事につけるわけではありませんし、どんな仕事でもイヤな要素があるものですが、そんな中でもどちらよりにバランスを取るかは個人の選択次第です。
憂さ晴らしにパーッと遊ぶことが悪いわけではありませんが、そればかりだと悪い状況は何も改善していきません。これが現実逃避の罠です。
一方で苦手な仕事を克服するために勉強したり、投資したりすると、日々のストレスが減り、一時的な快楽の為の憂さ晴らしをする必要もなくなってきます。
イヤな状況が改善されていくと、当然仕事のパフォーマンスも上がります。同じ時間でもイヤイヤ行う作業と活き活きと行う作業では、質が向上するだけでなくストレスも貯まりません。
憂さ晴らしやストレス発散にお金や時間を取られなくなると、本当に自分がやりたいことが見えてくるものです。
今まで旅行に行くことが幸せだと感じていた人でも、落差がなくなると「そうでもないかな」と感じるかもしれません。
お腹が空いている時はなんでも美味しいものですが、それなりに満たされている状況だと、好きなモノ、食べたいモノが見つかりやすいようなことです。
だからと言って毎日ご馳走を食べられている状況が良いわけでもありません。あくまでもバランスの問題です。
現実逃避の為の旅行が悪いのではなく、現実と向き合う視点もバランスよく取り入れられると、本当に行きたい旅行先が見つかるようなことです。
まとめ 現実を変える方法
心に余裕が生まれると、世間の常識や周囲の人の幸せの基準とは別に、自分の基準を意識できるようになります。
そこで旅行に行きたいと感じるのであれば、その旅行は素晴らしい体験になると思います。憂さ晴らしや現実逃避の旅行とは全く意味合いが変わってきます。
現実逃避の為の旅行という意識では現実は何も変わりません。むしろイヤな現実を受け入れ続ける土台を強固に築いてしまいます。
これは「奴隷の幸せ」です。
支配する側(仕事なら雇い主)にとって都合の良い状況です。幸せの基準を押し付けられている状態です。しかもそれを自分で選択しているかのように錯覚させられています。
ある本で読んだのですが、江戸時代の庶民の多くは自由気まま生活を謳歌していたそうです。現在でいうところの日雇いで働く庶民が多く、少し小銭を稼いだら、しばらくのんびりするのが普通でした。
ですが、それだと計画的に仕事が捗りません。雇う側にとっては困るわけです。
そこで考え出されたのが、庶民の稼いだお金をその日の内に使わせてしまうことです。
昼間の雇い主が夜に賭博を開き、稼いだお金を巻き上げることで、次の日も仕事に来てもらおうとしました。
ただし賭博で勝ってしまうと、しばらく仕事に来てもらえないので、その日の内にお金を使い切れる「遊郭」が生まれました。
ちょっとぐらい買っても遊郭で遊べないので、結局は大勝ちするまで粘ることになり、大抵は一文無しになります。大勝ちしてもしっかりと巻き上げるシステムが控えています。
しかもその流れを助長する価値観として、「宵越しの銭はもたない」を粋として流行させたといわれています。新しい価値観を権力者側が押し付けてきたわけです。
「宵越しの銭はもたない」の言葉の意味を調べると色々な説があり、この賭博、遊郭説は少数派ではあるのですが、私は本質をついていると思います。
私は北海道に住んでいるのですが、札幌の歓楽街である「すすきの」が出来たのも同じような理由です。
北海道を開拓していた頃、本州からの期間労働者が直ぐに戻ってしまわぬよう、お金を使わせる場所が必要でした。割賦やツケを受け入れることで離れにくくすることもできます。
現在でも工業地帯には風俗やパチンコ屋が多いものです。
心から風俗や賭博が好きな人は幸せな状況なのかも知れませんが、それらは権力者側の都合によって押し付けられた価値観だと知ると、一つ上の視点で判断できるようになるのではないでしょうか。
現代でも様々な幸せの価値観を押し付けられているものです。
政府は安定して税金を納めてもらう為に、35年もの住宅ローンを推進するわけです。月々の支払いの項目を増やすことで、やりたくもない仕事でもやらざる負えない状況を作り上げています。
家を所有することが、さも幸せであるかのような価値観を押し付けてきます。
現在ではこれらのことに気づいている人も多く、裕福層でも賃貸を選択する人が増えてきましたが、保守的な考えの人ほど持ち家信仰が強いものです。それだけ支配層に操られています。
もちろん家を所有することが悪いのではなく、しっかりとメリット、デメリット、ライフスタイルの変化などを考慮した上で判断していればいいのですが、漠然と持ち家を持つことが幸せだと思っている方が、まだまだ多いように感じます。
その架空の幸せと引き換えに、35年ローンや通勤時間という膨大な時間の代償を支払っている方も多いものです。支配者層に都合の良い価値観ではなく、本当の自分基準を取り戻してほしい思います。
現実逃避や憂さ晴らしという意識では、ますます現実に縛られるということだけでも覚えておいてください。現実逃避の罠にはまらないでください。
しっかりと現実と向き合うことで、現実を変える方法が見つかるものです。それは苦手の克服だったり、ストレスの軽減だったり、離婚や転職や引っ越しなのかも知れません。
判断を人任せにしていると、権力者側にいいように使われるだけの人生になってしまいます。挙句の果てに犯罪や過労死などしてしまうかもしれません。
一時的に現実から目を背ける現実逃避ではなく、しっかりと現実と向き合うことが、最も現実を変えることにつながります。