悲しみを乗り越える方法?
世の中には様々な「悲しみを乗り越える方法」について語られていますが、それらの多くは一時的な効果しかありません。何かしらの悲しみを乗り越える方法で一時的に気持ちを切り替えられたとしても、大抵はダイエットのリバウンドのように元に戻ってしまいます。
実際に私も離婚をして愛する息子と離れることになってしまったとき、今まで経験をしたことがない悲しみに襲われ、日々悲しみに暮れていました。
その頃は「藁(わら)にも縋る(すがる)」想いで、様々な悲しみを乗り越える方法を実践しました。
「先祖の供養が足りないから」という方法を目にすればお墓参りに行きましたし、神社にお参りもしてお守りを身に着けていました。また気持ちを切り替えるために無理やり趣味にも熱中しましたし、やる気を起こすためのセミナーにも参加したことがあります。
どれも一時的には効果があるものですが、その後に強いリバウンドが襲ってきました。
無理やりモチベーション(やる気)を上げてしまうと、今までの状態に戻った時に落差を感じてしまい、益々落ち込んでしまいました。
うつ病患者に幸せホルモンであるセロトニンの分泌を促す薬を処方すると、一時的には症状が改善されますが、薬の効果が切れると元の状態よりも辛さを感じてしまうようなことです。
私は悲しみを乗り越える方法にすがってはリバウンドで苦しむという状態で、数年を過ごしていたのですが、ある時にたまたま遭遇した出来事で自分の身体の変化に驚くことになりました。
姿勢とメンタルの関係
私が愛する息子と離ればなれになったのは、まだベビーカーに乗っていた赤ちゃんの頃でした。
テレビで赤ちゃんのおむつのCMを見かけるだけで、物凄い悲しみに襲われるのが数年続いていました。CMに限らず、赤ちゃんを見かけるだけで同じような悲しみを感じていました。
ある時にたまたま道路でベビーカーを押す親子とすれ違った時のことです。
すれ違う前から遠目でベビーカーに気づいていたので道を変えようとも思ったのですが、一本道で難しかったのもあり、何とかこらえてすれ違うことになりました。
私の目にはどんどん涙がたまってしまい、今にも溢れそうになっていました。幸せそうな親子に何とか悟られないよう、無理やり顔を上げて涙がこぼれないようにしてすれ違いました。
何とか無事にすれ違うことができたのですが、自分でも「なにやってるんだろうなぁ」としばらく空を見上げていると、自分が笑顔になっていることに気がつきました。
その頃の私は笑顔になることなど全くなく、バラエティ番組を見てもクスリともしませんでした。
「久しぶりの笑顔だな~」と思って自分でも驚いたのですが、その後に見上げていた顔を元に戻すと、いつもの悲しみにくれた表情に戻りました。
「あれ?」と思い、
再び顔を空に向けると、また笑顔の表情になってくれました。
自分の意思で表情を変えたのではなく、空を見上げるだけで勝手に表情が笑顔になることに気がつきました。
これといって楽しいことがなくても、上を見上げるだけで表情が笑顔に変わるということです。
実際に試してみてください。無表情のまま上を見上げると、顔の筋肉が勝手に笑顔を作ろうとすると思います。
無理やり無表情にコントロールすることもできますが、むしろ無表情をキープする方が余計な筋肉を使うはずです。
このことに気がついた私は、逆にうつむいた姿勢で試してみると逆の効果が表れて驚きました。
うつむいた姿勢でいると勝手に表情が暗くなります。気持ちとは関係なく口角が下がって暗い表情になってしまいます。うつむいたまま無理やり笑顔をつくっても、その表情をキープするのが大変なぐらいです。
何が言いたいのかというと、姿勢とメンタルには相関関係があるということです。
誰でも悲しいときは自然とうつむいてしまうものです。骨盤が倒れて猫背になり、肩も前に落ちて頭も前傾してしまいます。この姿勢の状態で颯爽と歩くことなどできません。トボトボと狭い歩幅でしか歩けなくなります。
逆に嬉しいことがあれば自然と胸を張って堂々とするものです。骨盤が起き上がって肩の位置も広がり、上半身をバランスよく使って颯爽と歩けるようになります。
この事に気がつけたことが、私が悲しみを乗り越えるきっかけになりました。そしてちょうどこの頃にある本に出合いました。
パワーポーズの効果!
この本では、姿勢(ポーズ)がメンタルへ影響を与えるメカニズムが科学的に解説されています。
わかりやすい例をあげると、いわゆるガッツポーズを取ると実際に身体の中にやる気ホルモンが分泌されるようなことです。逆もしかりで、落ち込んだポーズをとると身体が休息モードへと促されるホルモンが分泌されます。
姿勢による変化が周囲の人からの見た目の印象を変えることだけではないということです。実際に本人の身体に、それらのポーズに相応しいメンタルへ促されることになります。
悲しみにくれていると、その状態に相応しい姿勢(元気がない姿勢)になるのはイメージできると思いますが、逆側からもアプローチ可能ということです。
まさに私が涙がこぼれないように空を見上げたことで、笑顔が引き出されたようなことです。
落ち込んでいる時に考えを切り替えるのは簡単ではありませんが、姿勢を少し正すことだけなら、それほど難しくはないはずです。
理想を言えば、元気が漲る「ガッツポーズ」を取ることですが、それだって難しいと思います。
ですが、姿勢を正すことだけなら、それほど辛くないのではないでしょうか。
うつむいている姿勢を少しだけ正すだけなら、それほど強靭なメンタル(気持ちの切り替え)は必要ありません。
これこそが、悲しみを乗り越える一番の方法だと感じます。
普通を取り戻そう!
多くの悲しみを乗り越える方法というのは、一気にプラス側へもっていくようなことです。
メンタルの状態を数字で例えると、
- 悲しみのどん底 「0~10」
- 落ち込んでいる 「10~40」
- 普通の状態 「40~60」
- 充実した状態 「60~90」
- 最高潮の状態 「90~100」
のようなことだと仮定します。
深い悲しみを抱えて「10」の状態の方が、Aというの悲しみを乗り越える方法で短期的に「80」まで上げることに成功したとします。
ですが、そのAの方法に少しでも疑問を感じてしまうと、一気に「10」まで落ち込んでしまいます。落差が大きいだけに勢いがついて一桁台までいくかも知れません。
実際に私も経験しています。
あるスピリチュアル系の本で「誰でも神様に愛されています。その事に気がついた瞬間に誰もが幸せになれますよ」といったことが書いてあり、その内容に深く感銘を受けた私は、神社でお参りをする度に晴ればれとした気分になっていました。
「今まで上手くいってなかったのは、神への感謝が足りなかったのだなぁ」と納得していました。その状態は決して悪いものではありません。
それなりに落ち着きを取り戻せたこともあり、小さな子供を見かけても昔のように涙が溢れてくるようなことはなくなったのですが、たまたまある任侠映画を見た時に、この考え方がガラガラと音を立てて砕けてしまいました。
任侠映画に登場する「悪い○○組」の方々が、そろいも揃って神棚にお祈りをしていました。神事の儀式を大切にしており、龍の刺青をしていたり、御守りを大事にしていたりと、ずっと私よりも神様を信じて行動されていたわけです。
その時に私は「悪い奴の味方をする神様ってどうなんだ?」と疑問をもってしまいました。そのスピリチュアル系の本には龍の凄さについて深く語られており、龍の刺青を見て「なんだかなぁ~」と感じた瞬間に、落ち着いていたメンタルが一気に降下してしまいました。
落ち込んでいる状態の時というのは、何をしていいのかもわからない状態なので何かしらにすがりたくなります。
神社で手を合わせてお参りするような何かしらの行動を取れば、取りあえずは落ち込んだ状態から一歩踏み出せたように感じられ、益々のめり込んでいくのですが、それは悲しみが癒えたわけでもなく、悲しみから目を背けただけです。
ずっと悲しみから目を背け続けられるのであれば、それはそれで成功と言えるのですが、自分が今まで考えてきた思想を捨ててまでのめり込める方は、それほど多くないと思います。
そもそも落ち込んでいる状態というのは冷静に物事を判断できません。頭に拳銃を突き付けられた状態で冷静でいられる人など、軍隊で特別な訓練でも受けない限りありえません。
誰でも不安になれば藁にもすがりたくなります。拳銃を突き付けられて「財布を出せ!」と言われれば、誰だって従ってしまいます。冷静に状況を見回す余裕があれば、おもちゃの拳銃だと見抜けるかも知れませんが、普通の人はそのような考えはできません。
私が悲しみにくれる前にも神社やお寺は普通に存在していましたが、それらが重要だとは認識していませんでした。どうしようもない不安に襲われたからこそ、直接は離婚や息子とも全く関係のないスピリチュアル系の情報に頼ってしまいました。
結果的にスピリチュアル系の方法でメンタルの状態の数値が向上(10から60へ)したのですが、そこで冷静さを取り戻せたこともあり、スピリチュアル系の矛盾に気がつくことになりました。
そして「なんだ、やっぱりウソなのか」と判断した瞬間、再び「60から10へ」急降下してしまいました。すがる対象がなくなったので10よりもさらに下がっていたかも知れません。
このように何かしらの悲しみを乗り越える方法で一気にプラス側に行ってしまうと、ダイエットのリバウンドのように元の状態よりも悪くなってしまう可能性があります。
極端な食事制限や無理な運動で短期的にダイエットに成功しても、多くの方がリバウンドをしてしまうものです。
一方で正しいダイエットというのは、無理のない範囲で少しずつ行うものではないでしょうか。
いきなり「お菓子や揚げ物禁止」と決めてしまうと、それが強いストレスとなってしまうかも知れません。また、お菓子や揚げ物以外なら何でもいいのかと間違った解釈をしてしまい、果物ばかりを大量に食べてバランスを崩す方がいるものです。
メンタルも何かにすがってしまうと、神頼みさえすればいいのかと誤った判断をしてしまいます。自分の間違いを改めることもなく、全ては神頼みが原因なのだと決めつけてしまうと、お布施の金額ばかりが膨れ上がるかも知れません。
落ち込んでいるメンタルを整えるには、正しいダイエットのように少しずつ行うことです。
その第一歩として有効なのが、姿勢の崩れを正すことです。
いきなりガッツポーズをとって「気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだーー!」とプラス側に一気にもっていくと、リバウンドで落ち込んでしまいますが、崩れた姿勢を少し正すというのは、10から20へ少しだけ上げるようなことです。
涙を流している時に無理やりガッツポーズを取るのは難しいですが、空を見上げことだけならそれほど難しくないはずです。
このように僅かな姿勢の崩れを正すだけでも、メンタルに好影響があることだけでも覚えておいてください。
まとめ 悲しみと上手く付き合う
私自身も様々な悲しみを乗り越える方法にすがっていたのですが、どの方法でも完全に乗り越えることはできませんでした。
相性の問題もあるので、ある人には劇的に効くということもあると思います。特にスピリチュアル系は育ってきた環境や文化によって左右されるので何とも言えません。
ですが、何かに頼りきってしまうと、その対象に疑問を感じた瞬間に元に戻ってしまいます。
信じるべきは、自分自身ではないでしょうか。
悲しみを乗り越える方法に囚われるのではなく、自分自身を信じてあげてください。
悲しみを乗り越えるのではなく、上手く悲しみと付き合っていってください。
悲しい過去の出来事を、全く別の解釈で書き換える方法(カルマのせいにするなど)もありますが、それだとその悲しい出来事から何も学ぶことができません。
「慢性的に腰が痛いのは、前世で誰かの腰を槍で突いたからだ」と信じてしまうと、腰はずっと痛いままです。
腰の手術を受ければ治るかも知れませんし、靴や歩き方を改善したら治るかも知れません。椅子や布団が合っていないだけかも知れませんし、太っていることが原因かも知れません。
何かにすがってしまうと、自らの力で改善(成長)する機会が失われてしまいます。
悲しみを乗り越える方法に囚われてしまうのも同じです。悲しみを乗り越えることで得られる学び、成長が失われてしまいます。
多くの悩みは時間が解決してくれます。大切なのはその時間の過ごし方です。無理やり早送りするような方法に頼るのではなく、心穏やかに時間が流れるのを待ってください。それが自分の信じるということです。
心穏やかに悲しみの時間を過ごすために有効なのが、正しいダイエットのように少しずつ改善していくことです。
その一つとして、今回は崩れた姿勢を正す方法を紹介させてもらいました。
これだけが正解なのではありません。他にも方法はあります。以前に「水曜どうでしょうが鬱に効く」という記事を書いたことがあるのですが、
この方法も悲しみの時間と上手く付き合う方法です。
「姿勢を正すこと」や「水曜どうでしょう」にプラス「50」の効果はありません。せいぜい「10」程度です。だからこそリバウンドの影響力も少なく済みます。
このようなプラス「10」ぐらい方法を、いくつか組み合わせておけば、一つぐらい下がってもそれほどダメージを受けずに済みます。
何か一つの方法に囚われて一気に「60」ぐらい上げるより、ずっと安心で健全な方法だと思います。
神頼みもほどほどな距離で付き合えば、これらのようなプラス「10」になってくれます。頼り切ってしまうとリスクが増すので気をつけてください。
お酒も同様です。たまに少しのお酒で悲しみを和らげるのは構いませんが、どっぷりと毎晩頼ってしまうとお酒なしで悲しみを乗り越えられなくなってしまいます。
悲しみを抱えている方は、自分にとってプラス「10」になる対象をいくつか見つけてみてください。無理なくちょっとだけ笑顔になるような対象があると思います。
無理やりモチベーションを高めなくてもできる行動を、少しずつ取り入れていってください。
これこそが「悲しみを乗り越える方法」なのだと思います。
一気に乗り越えようとすると途中で転げ落ちて、元の位置よりも下がってしまうかも知れませんが、時間を味方につけながら心穏やかに少しずつ進んでいけば、気づいたころには悲しみを乗り越えているのではないでしょうか。
悲しみを乗り越えた瞬間などわかりません。気づいた頃には乗り越えているものです。それまで心穏やかに悲しみの時間と上手く付き合っていってください。