節約は負け組の象徴?
少し前に大手メディアのネットニュースに、
「節約をしている人は負け組だ!」
と書かれていました。
その記事を書いた人の負け組の基準というのは、
- 収入額
- 貯蓄額
- 既婚率
- 子供の人数
などがあげられていたのですが、中でも「節約をしている時点で負け組確定!」のような刺激的な内容になっていました。
当然その方は自分が勝ち組側にいると思っているのでしょうが、私にはとても残念な負け組の人に見えてしまいました。
そもそも負け組、勝ち組の基準というは、決められるものではありません。
収入額で決まるわけでも、貯蓄額で決まるわけでもありません。
大富豪の家庭に生まれても不幸せな人もいますし、貧乏な家庭に生まれても幸せな人もいます。
世襲制のある専門職の家庭に生まれた子供は、プロ野球選手になりたくても目指すことすら許されないかも知れません。伝統を保つことが出来て高収入でも幸せでないかも知れません。
日本人の平均収入額を上回っていても、東京のど真ん中に住んでいると厳しいかも知れませんが、地方に行けば平均収入を下回っていても持ち家、自家用車を所有して方も珍しくありません。
お金や所有している物で幸せが決まるわけでもありませんし、ましてやそれで勝ち組、負け組に振り分けられることなどありません。
本当の負け組というのは、負け組、勝ち組という基準に振り回されている人の事です。
勝ち組を目指すことこそが、負け組の人の特徴
そもそもずっと幸せを感じられる人などいません。
幸せというのは、不幸がないと成り立たない概念です。
日本であれば全国どこでも安心して飲める水が手に入りますが、誰もその事を幸せな事だとは感じません。
水道水が安全な国というのは、世界的に見ても少数派です。
お金を出して飲料水を確保しなければならない国の人にとっては、とても幸せで羨ましいことです。
だからといって日本人の幸福度が高いかというと、決してそんなことはありません。
勝ち組でいることが誇らしいと感じている人というのは、貧しい国の人と比べて誇らしい気分に浸っているような人の事です。
自分よりも劣っている人と比べて満足しているだけです。
一方で自分の事を負け組だと決めつけている人というのは、自分よりも優れている人と比べて悲観的になっているような人の事です。
どちら側も自分の基準で決められていません。
世間の常識や誰かが勝手に決めた基準に当てはめているだけです。
どっちもどっちではないでしょうか。
勝ち組を目指して努力することが悪いとは言いませんが、自分で基準を決められない人というのは、その基準が変わる度に激しく感情が揺さぶられてしまいます。
年収が100万円アップしても、日本人の平均年収が110万円アップしていると負け組のままだと認識してしまいます。
誰かの基準に当てはめていると、自分の成長も頑張りも関係のないところで、負け組と勝ち組に振り分けられてしまいます。
一方で自分の基準をしっかりと持っている人というのは、周りと比較することはありません。
自分自身の成長そのものに喜びを感じることが出来ますし、世間の勝ち組のラインに入った瞬間に偉そうに振る舞いになることもありません。
世界中で戦争が起きて不幸な人が増えたからといって自分の幸せ度がアップすることもありませんし、豊かになっていく周辺の国と比べて悲観することもありません。
自分自身で幸せを掴み取ることが出来る状態です。
どちらの基準を持っている人が、より幸せなのかイメージできるのではないでしょうか。
これが誰かが勝手に決めた勝ち組の基準を受け入れてしまうことこそが、負け組の人の特徴という意味です。
これは料理の美味しさで考えるとわかりやすいかも知れません。
美味しい料理とは?
美味しい料理の正解などないのは、誰もがイメージできると思います。
ミシュランや食べログで高評価されていても、誰もが美味しいと感じるわけではありません。
また全く同じ料理でも、食べる側の体調や空腹具合によっても美味しさは変化します。
さらに細かな事を言えば、料理の盛り付けだったり、店内の雰囲気や接客態度も関係します。
それらが理想的だったとしても、料理を食べる直前に「家族が倒れた」という連絡がくると、料理の味などわからなくなってしまいます。
一方で大好きな恋人や子供が初めて作ってくれた料理であれば、美味しいと感じるものです。
料理の味がイマイチでも、愛する人が自分のためにつくってくれたという事実が、全てを上回ることがあります。
ピーマンの味が苦手な子供でも、自分で畑に種をまいて育てて収穫すると「美味しそう」と感じて食べられるものです。
負け組、勝ち組のような誰かが決めた基準を受け入れてしまっている方というのは、ミシュランや食べログの評価だけで料理の美味しさを決めるようなことです。
その基準だけで判断していると、自分が本当に食べたいものまでわからなくなってしまうかも知れません。
かなり昔に見たテレビ番組(ぶらり途中下車の旅)で印象深かった出来事がありました。
地元で取れた魚料理が名物のお店で、蛭子能収さんが「カツカレー」を注文していました。周りの人は、
「なんでカツカレー?せっかく美味しい魚が揃っているのに~」
といった発言をしていたのですが、私は蛭子能収さんの選択の方が素晴らしかったと感じました。
当サイトでは以前に「食べたいモノを食べると健康になる!」といった内容の記事を紹介したことがあるのですが、
食べたくなるモノというのは、その時の身体が欲している栄養が含まれている可能性が高く、不足している栄養を補えて身体に良いばかりでなく、実際に美味しく感じられると紹介しました。
どんなに魚料理が有名だとしても、毎日自宅で魚料理を食べている人であれば、身体は肉の栄養素を欲しているかも知れません。肝臓が弱っている方であれば、カレーに含まれている様々なスパイスによる効能を求めているかも知れません。
それらを察知した本能が、「美味しそう」に感じさせてくれます。だからこそ実際に食べても美味しく頂くことが出来ます。
誰かが決めた基準で生きている人というのは、この本能から求めている欲求に蓋をしてしまいます。
当然美味しさは感じられませんし、身体にとっても良いわけがありません。
負け組、勝ち組を気にしている人というのも同じです。
自分が幸せを感じられる基準に蓋をしてしまうことになるので、いつまで経っても本当の幸せは得ることが出来ません。
まとめ 勝ち負けなどない!
そもそも世の中には、勝ち負けがはっきりと決まる事は少ないものです。
ゲームやスポーツには明確なルールがあるので勝ち負けに振り分けられますが、一般の人がはっきりと勝ち負けに振り分けられる出来事など、そう多くありません。
スーパーで何かしらのモノを購入した時に勝ち負けなどありません。お互いにメリットがあるだけです。
基本的に取引というのは甲乙で対等な関係であり、どちら側だけが有利にすすむものではありません。不利だと思えば契約しなければいいだけです。
もちろん契約内容に虚飾があった場合(詐欺)は別ですが、どちら側だけが勝ち、負けということは多くありません。
そもそも勝ち負けに分ける事の方が不自然です。
「俺は年収1千万だから勝ち組だ!」
と喜んでいる人でもビルゲイツから比べれば貧乏ですし、物価の安い地域の年収500万の人の方が豊かに暮らしているかも知れません。
「結婚出来なくて子供がいないから負け組だ~」
と悲観している人でも、子供に殺された親のニュースを見た途端に気持ちが変わるかも知れません。
仕事を頑張ることは素晴らしいことですが、その頑張る理由が「勝ち組になること」だと、いつまで経っても自分の本音と向き合えないので、本当に満足することは出来ません。
負け組、勝ち組など存在しません。
あえて言うのであれば、そんなものに振り回されることこそが「負け組」ということです。
収入が少なくても幸せな人はたくさんいますし、節約で楽しく乗り切っている方もいます。
やりたくもない仕事や残業や休日出勤をし、何とか勝ち組のラインに到達しても何も幸せではありません。心身共に疲れ果ててしまいます。
本当の勝ち組というのは、蛭子能収さんのように自分の基準で生きている方なのではないでしょうか。
もちろん蛭子さんの基準を真似ることではありません。
私は蛭子さんの本を読みましたが、はっきりいって全然好きになれませんでした(笑)。
ですが、自分なりの基準に忠実だという事には、とても感銘を受けました。世間一般の常識、基準とかけ離れている方の考え方が学べるので、負け組、勝ち組にこだわっている方には特におすすめです。
誰かの基準と比較することなく、自分が本当に満足する基準を決められるようになりましょう!
自分の基準を見つけるポイントは、美味しい料理の見つけ方のように、その時々の自分の心の声に耳を傾けることです。
凄くお腹が空いている時というのは、三ツ星レストランの一つ一つ提供されるコース料理より、サッと提供してくれる牛丼屋さんの方が美味しく感じるものです。
もちろん三ツ星レストランの料理が悪いわけではありません。そこは勘違いしないでください。
大切な人を喜ばせる為であれば、その人が喜びそうなレストランに連れて行ってあげるという基準が自分の中に出来上がるものです。
自分が美味しい料理を食べることよりも、大切な人をもてなしたい気持ちが上回れば、最高の選択肢になるかも知れません。
私もつい先日、サーモン料理が名物のお店に数人で行くことになったのですが、そこで「つぶカレー」を注文しました。メニューを見た瞬間に「これ食べたい!」と感じたからです。
もし私がもてなされる立場でそのようなお店に連れていってもらったのであれば、相手の気持ちも考慮しておすすめの名物を頼むかも知れませんが、その時は割り勘でそれぞれ食べるような関係だったので、自分の基準だけで判断して注文しました。
これらも含めて自分の心の声に耳を傾けてください。何が本当に大切なのか、自分が求めているのか、よくよく考えて判断してほしいと思います。
自分で考えることもなく、誰かに基準で決めてばかりいると、いつまで経っても本音と向き合うことが出来ませんよ。