モノが高価になる理由
モノの価格は需要と供給のバランスで決まります。
欲しいと思う人が多いほど高価になりますし、供給量が少なくなっても高価になります。
欲しいと思う人が多いほどモノが高価になる例は、オークションで考えるとわかりやすいと思います。
人気アイドルのコンサートのチケットなどは、価格が跳ね上がります。
また供給量はうなぎの価格変動がわかりやすいと思います。昔は千円で食べられた国産のうな重と、最近の三千円のうな重で美味しさが違うわけではありません。
もちろんうなぎの質、個体差はありますが、質以外でも需要と供給のバランスで価格は変動します。まずはこの事をしっかりと理解しておいてください。高価なモノほど優れているというわけではありません。
価値の認識
高価なうなぎでも購入する人がいる理由は、うなぎに対する価値を見出しているからです。
単純にうなぎの味に価値を感じたり、栄養成分、滋養強壮としてうなぎに価値を感じたり、風物詩(土用の丑の日)として価値を感じる人は、たとえ高価でも購入します。
一方でうなぎの味が好きでもなかったり、元気溌剌だったり、風物詩に疎い人は、わざわざ高価なうなぎは購入しません。
ただし、そのようにうなぎに対して価値を感じていない人でも、土用の丑の日にうな重が500円で売られていると、つい購入してしまうこともあります。
需要と供給のバランスで決まった価格は、そのモノへの価値の感じ方によって高価にも安価にもなります。
価値の感じ方は人それぞれです。アイドルのサインに何万円もの価値を感じる人もいれば、まったく見向きもしない人もいるわけです。
小さな子供であれば、一万円札よりも五百円玉のお年玉の方が喜ぶかもしれません。
そしてその基準は決して間違ってはいません。本人がどう感じるかが重要であり、誰かに基準に当てはめて考えてしまうと、必要でもないモノだったり、高価なモノを購入してしまいます。
高価だと感じる理由
あるモノの価格に対して高価だなと感じた場合は、そのモノへ価値を感じていないということです。
過去にうな重を食べて元気になったことがある人は、たとえうなぎの味が嫌いでも価値を感じることがあります。
風物詩を大切にする人も同様です。その習慣に価値を感じているので、うなぎの質や価格が判断材料になりません。土用の丑の日を楽しむための価格に適しているのかという基準になります。
これはお正月のおせち料理やクリスマスケーキも同様です。普段よりも価格が高いのにも関わらず、それらの風物詩を楽しむことに価値を感じると高価だと感じません。
まったく同じモノでも、購入する側の認識によって価値は変わります。
名前も聞いたことがないミュージシャンのDVDを一万円も出して購入する人はいませんが、どこかでそのミュージシャンの音楽に触れて感動すると、認識が変わって高価だと感じなくなるわけです。
要するに、あるモノに対して高価だと感じている時点で、そのモノへ価値を感じていないということです。なので無理して高価だと感じるモノを買う必要はありません。
まとめ 待つ勇気
もしかしたら高価なモノに触れることで生活が豊かになったり、今まで体験したことがない感動が得られるかもしれません。
ですが、高価なモノだからそれらが得られるとも限らないわけです。
うなぎのように価格が何倍にも跳ね上がったからと言って、味や体験が何倍になるわけではありません。
また高級腕時計をしても時間は全く変わりません。高級外車に乗っても制限速度のある日本で移動スピードが劇的に上がるわけでもありません。むしろ都心部では小回りが利かなかったり、駐車場が見つからなかったりするかもしれません。
それでも高価なモノが売れる理由は、そこに価値を感じる人がいるからです。
価値の感じ方は人それぞれなので、どこに価値を感じてもいいと思います。
あなたにとって価値を感じるモノであれば、ほかの人から見て高価に感じるモノでも関係ありません。
料理が大好きな人にとっては、何十万円の調理器具でも価値を感じるものですが、料理をしない人にとっては間違いなく無駄なモノです。
そして価格そのものにも正解があるのではありません。うな重が一万円だと高価ですが、自動車が一万円だと激安です。あくまでも本人がどう感じるのかが重要です。
この感じ方を自分で決めているのであればいいのですが、世間の常識だったり、会社の同僚の基準だったり、親戚や家族の基準だったりすると、なかなか満足は得られません。
「もう大人なんだから」
「社会人なら持っていて当然だ」
「クルマぐらい普通でしょ」
など、メディアや周囲の人から様々な影響を受けるものです。
もちろん本人が納得して受け入れているのであればいいのですが、このような外部からの基準ばかりを取り入れてしまうと、本人にとって価値のないモノばかりになり、どれも高価で無駄な買い物になってしまいます。
何から何まで自分勝手に決められるわけではありませんが、ある程度自分の基準を持つことで、それらの基準に惑わされなくなります。
どんなに希少性が高くても、芸術家の作品でも、世間で話題のスイーツでも、本人が価値を感じなければ、それはすべて無駄なモノです。たとえ100円でも高価なモノです。
あなたの基準を大切にしてください。
高価だと感じるモノは、価値を感じていない必要のないモノということです。
もちろん購入して体験をしたあとに価値を感じるというケースもありますが、多くの方が期待したほど価値を感じられないからこそ、モノはどんどん増え続けていくわけです。
モノを売る側は、さも素晴らしい価値があるかのように訴えかけてきます。ひどいモノになると、不安や恐怖を利用して脅してきます。
最近驚いたのは、ある製品のCMで使われていた「寝起き臭」という言葉です。
こんな言葉は今までありませんでした。わざわざ新たに不安材料を押し付けてきて解決策を掲示してきます。
この言葉が生まれるまで、体臭で悩んでいた人はいても「寝起き臭」で悩んでいた人はいません。
似たようなことだとウォシュレットが当てはまります。ウォシュレットが販売される前は、トイレットペーパーで拭くだけで誰も疑問を感じていませんでした。
このように日々、新たな基準が植え付けられていきます。
自ら不満を感じて解決するためにモノを購入するのはいいのですが、誰かに不安を感じされられて購入してしまうと後悔するので気をつけてください。
改めて自分の基準を大切にしてほしい思います。その基準が高価だと感じるかどうかということです。
高価だと感じた時点で、無理して購入する必要はありません。
逆に本当に必要なモノであれば、いずれその価格でも価値を感じられるようになります。高価だと感じなくなってから購入しても遅くありません。
うな重も子供が成長してきて風物詩を体験させてあげたいと感じたのであれば、それほど高価だと感じなくなるものです。
購入を待つ勇気を持ってください。自分の中で購入したい動機を寝かすことで、冷静に判断できるようになります。
それでも欲しいと思えるモノ(価値を感じるモノ)は、きっとあなたの生活を豊かにしてくれると思います。
そもそも身の回りにあるモノに価値を感じている人は、それらが高価なモノだとは思っていません。高かったけど良い買い物をしたという認識だからです。
逆に高価なモノに囲まれて喜んでいる人というのは、それらのモノの本質に価値を感じていないということです。金銭的な価値は感じているのでしょうが・・・。
それは投資目的として絵画を購入するようなことです。価格が下がれば悔しい思いをすることになります。
一方で大好きな絵画を飾っている人は価格の変動などまったく関係ありません。しっかりと自分の基準で選んでいるので、毎日絵画を眺めては幸せを感じることができます。
大好きな絵画の基準は自分で決めることです。有名な画家の作品だからと好きでもない絵画を飾っていると、毎日イヤな気持ちになってしまいます。
もう一度いいます。高価だと感じている時点で、そのモノへ価値を感じていません。
購入後に価値に気がつくこともありますが、価値を感じてから購入しても遅くありません。
これが高価だと感じるモノを購入する必要がない理由です。投資目的でもない限り、無理して買うことはありません。