好きな事を我慢するのは辛い?
好きな事を我慢するというと、なんだか虚しいような感じがするかも知れませんが、いつでも好きな事をやれるのに、あえて我慢する事は必ずしも悪い事ではありません。
アイスが好きな人が我慢せずに好きなだけ食べていると、とても満足していると感じるかも知れませんが、ダイエットで我慢している人が週に一度だけ食べるアイスの方が、ずっと満足度が高いのはイメージできると思います。
お金に余裕がある人が毎日食後に食べる高級アイスより、ダイエットの為の運動を頑張った日にだけ100円ぐらいの安いアイスを食べる人の方が、脳内で幸せホルモンが溢れるものです。
いっさいダイエットを気にしないで好きなだけ食べているデブというのは、一度の食事による満足度はそれほど高くないものです。
100円のアイスを毎日食べる事など、仕事をしている人であれば難しい事ではありませんが、我慢しないで好きなだけ食べる事が、満足度が高くなるとは限らないという事です。
しばしば自己啓発本や精神論の本で、「好きな事は我慢しないでどんどんやろう」といった事が推奨されていますが、あえて我慢してコントロールした方が良い事があるものです。
猫を飼わない猫好き
私は猫が好きなのですが、自宅で猫は飼っていません。
節約という意味もなくはないですが、そこまで生活に困窮しているわけでもなく、自宅アパートはペットOKなので、猫を飼う事が不可能なわけではありません。
そんな私が街中を歩いている時に猫に出合えると、一気にテンションが上がって幸せな気分になれます。
猫を飼っていなくても、猫カフェやペットショップに行けば猫に会えますが、あえてそれは我慢しています。
偶然の出会いがあるからこそ、喜びもひとしおになるわけです。
もちろん猫を飼っている人が悪いと言いたいわけではありませんが、私が偶然猫に出合えた時の喜びは、猫を飼っている人が帰宅した時に猫と触れ合う喜びに、負けているとは思っていません。
似たようなところだと、サッカーのテレビ観戦があります。私はサッカーが好きで贔屓のJリーグのチームもあるのですが、そのチームの試合がテレビで放送される事は一ヶ月に一度ぐらいしかありません。
以前はダゾーンと契約して毎試合観ていたこともあるのですが、毎週のようにチェックするようになると、どんどん満足度が下がってしまい、その内に「お金を払っているから見なければならないと」いった義務的な感じになってしまいました。
一方で解約した現在は一ヶ月に一度ぐらいしか観られないので、とても楽しみになっています。準備万端で待ち構えて楽しめるようになりました。
サッカーの日本代表の試合観戦の楽しみに近づいたような感じです。たまにあるからこそ、凄く楽しみになりました。
この辺のバランスは人それぞれなので、毎試合欠かさずチェックした方が楽しめるという人もいますし、自宅で猫を飼った方が幸せな人もいますが、あえてコントロールした方が、楽しめるというケースもあるのではないでしょうか。
これは以前に紹介したご馳走の話と似ているのですが、
いつでも焼き肉やお寿司が気軽に食べられる現在だからこそ、あえて我慢してご馳走の楽しみとしてとっておくような感じです。
普段から我慢せずに好きな物を食べている人にはご馳走はありません。
趣味や好きな事でも、あえて我慢する事で、それらの輝きが増す事もあるのではないでしょうか。
まとめ 出来ないのではなく、あえてやらない
節約の為に仕方がなく我慢するとなると、悲壮感や虚しさが漂ってしまいますが、いつでも買えるけど、あえてとっておくような気持ちの余裕があると、ここぞという時に最高の選択が出来るのではないでしょうか。
私はどうしても猫に会いたい時は、通勤コースを猫との遭遇率が高い裏道に変えています。結構な遠回りになるので普段は選びませんが、仕事でイヤな事があった帰り道は、自然と裏道を選んでしまいます。
それでも猫に出会えないと益々落ち込んでしまいますが(苦笑)、諦めかけていた最後の最後に、住宅の窓に猫を発見した時は飛び上がるぐらい嬉しくなりました。
好きな事をやるのが悪いという事ではありませんが、何から何まで好きな事を選択してしまうと、それらによる満足度が薄まってしまうので、ほどほどにコントロールすることも大切なのではないでしょうか。
少し前にYouTubeでボディービルダー芸人の「中山きんに君」が、大会に向けて食事制限をしている動画を見たのですが、
納豆と白いご飯を本当に美味しそうに食べるシーンが印象的でした。
ボディービルダーのような食生活が一般の人に良いという事ではありませんが、あえて我慢する事で得られる幸福感というものが、よくわかると思います。
大食いの人が好きなだけムシャムシャ食べている食事より、ずっと幸せそうな表情をしています。
節約も凄く似ています。周りの人からは辛そうに見えても、本人はとんでもない幸せを感じているのかも知れません。
ボディービルダーが立派な肉体を作るという喜びだけでなく、食事の美味しさやありがたさをより感じられるように、節約による目標を達成した時の喜びだけでなく、日頃の様々な行動や選択からも幸せを感じているものです。
好きな事ややりたい事を、あえてコントロールする事で得られる満足感があるので、好きな事を好きなだけやる事が必ずしも幸福なのではありません。
殿様や秦の始皇帝が、たくさんの女性を抱えて好き放題選べるのが、必ずしも幸せではないような事です。何年間も想いを寄せていた相手とようやく結ばれた人の方が、ずっと脳内に幸せホルモンがあふれ出るのではないでしょうか。
どんな物でもお金さえあればネットで簡単に手に入ってしまう世の中ですが、それだけに薄まってしまっている幸せが多いように感じます。
食べ物が少なかった昔は、風邪をひいた時にだけ食べられるバナナが、とんでもないご馳走だったと言いますが、現在の焼き肉やお寿司はその地位よりも下になっているのかも知れません。
刑務所に入ると好きな物が食べられないので、出所した時に久しぶりに好きな物を食べると、とんでもない幸せを感じると言いますが、このような自分の意思とは関係なく制限されてしまう事は現在は多くありません。
だからこそ、あえて自分の意思で好きな事を我慢する事で、幸せが成熟していきます。自分なりのマイルールを定めて、ここぞという時に最高の気分味わえる自分なりのバナナを取っておくというのは、決して悪い事ではないはずです。
普段から高級レストランで食事をしているお金持ち夫婦だと、特別な記念日に選ぶお店が難しくなってしまいます。とんでもない費用や手間が必要になるのかも知れません。
一方で日頃から質素な食生活を心がけている家庭であれば、ファミレスや回転寿司でも最高の満足感が味わえるかも知れません。その時に脳内に溢れ出る幸せホルモンの量は、金持ち夫婦が10万円を掛けた食事よりも低いとは限らないはずです。
あえて好きな事を我慢した方が、幸せをコントロールしやすくなるものです。
高級レストランしか選択肢がない金持ち夫婦より、ずっと選択肢も多いので、より最適な物を選べるのではないでしょうか。