節約はレジャー!

幸せは追い求めなくても勝手にやってくる事もある!という話

幸せは追い求めると逃げる!?

20代の頃の私は幸せを積極的に追い求めており、様々な精神論の本を読み漁り、積極的に幸せを感じるように務めたり、世間一般の人並ぐらいの幸せは手に入れなければならないと思っていました。

30歳ぐらいには結婚して子供を作ってマイホームを建てるような事を思い描いており、実際にその通りになったのですが、その後に離婚をして期待していたはずの幸せが全て手から零れ落ちてしまいました。

それから数年は精神的にも落ち込んでしまい、後悔ばかりで自暴自棄になっていたのですが、ある漫画(王様の仕立て屋)を読んでいた時に雷が落ちるほどの衝撃の一言に出合う事になりました。

ある女性が恋を諦めて仕事に励んでいた時に、元彼が結婚するという事を聞いて「私はこのままで良いんだろうか・・・」と思い悩み、仕事にも身が入らなくなって休暇を取ってしまいました。

そんな時にたまたま訪れた喫茶店のマスターが優しそうな人だったので、つい「どうしたら人は幸せになれるのでしょうか?」と悩みを打ち明けると、

「幸せになる必要はないんじゃなかな!」

と答えました。その喫茶店のマスターは家庭を失っており、「今の生活は期待していたものとは違うけど、悪くないものだよ」と素敵な笑顔で微笑みました。

ずっと幸せを追い求めていた彼女は衝撃を受け、彼女の気持ちが吹っ切れたというシーンがありました。漫画の話とはいえ、私と同じように家族を失っていたマスターの一言は、私の心にも深く刺さりました。

それからの私は幸せを追い求める事をやめ、何かに期待する事も無くなっていたのですが、不思議と期待していないでいると幸せを感じる機会が増えていきました

幸せは勝手にやってくる?

昔の私が幸せだと思っていた家族やマイホームが再びやってきたわけではないのですが、幸せを追い求めなくなると幸せの基準が曖昧になるので、些細な事で幸せに感じる機会が劇的に増えていきました。

何事にも過度な期待をしていないので、コンビニ弁当を食べても「こんなに美味しいの?」と感動してしまったり、携帯電話の調子が悪くなってきて一番安いモデルに買い替えると「え?こんなに綺麗なの?」と感動してしまったり、野良猫と目が合った時に「ニャー」と鳴いてくれるだけで嬉しくなってしまったりと、想像もしていなかった事で幸せを感じる事が増えました。

自分でも驚くぐらい猫の鳴き声に癒されてしまい、「俺はこんなにも猫好きだったんだな」と気づき、猫カフェに行ってみると・・・そうでもありませんでした。

期待していくとハードルが上がってしまうせいか、自分にとって都合の良い猫像が出来上がってしまうので、その通りの猫や反応がないと不満を覚えてしまうのですが、期待していないと野良猫を見かけるだけで幸せを感じてしまいます。

節約して貯金箱にお金を貯める男性離婚をして貯金も全て失い、養育費の問題もあって節約を意識するようになったのですが、節約をしていると最低限の物を選ぶ事になり、初めは惨めな気持ちになる事もあったのですが、そこに慣れてしまうとスマホの買い替え時のように勝手に物が進化してきて感動する機会が増えてきました。

新しい機能が搭載されたニューモデルが販売されたから買い替えるような事ではなく、その都度必要になったタイミングで必要な機能が満たされている最低限の物を選んでいるのにも関わらず、勝手に物が進化しているので期待を超えてくるわけです。

車も価格の安い軽自動車に乗っているのですが、一番安いグレードなのにバックモニターが付いていたり、イモビライザーが搭載されていたり、燃費が凄く良かったりと、期待していなかったメリットをたくさん得る事ができました。

頻繁に新車の高級車に買い替えている人というのは、新しく開発された新機能を一つずつ甘受していくのかも知れませんが、私は期待していないだけに、それらの新機能が普及してコストが下がり、一般の車に搭載されるようになってから一気にまとめて受け取るので、ただの買い替えなのに期待以上のメリットを甘受する事になりました。

ラーメン好きの人が様々なラーメン屋に出向いて好みのラーメンに出合えた時は感動するのかも知れませんが、知識も経験も豊富で好みのラーメンの基準が明確なだけに、全てが理想的なラーメンには早々出合えるわけではありません。

一方で私はラーメン屋に一年に一度ぐらいしか行かないので、たまにラーメンが食べたくなった時に行くと、なんてことない普通のラーメンでも凄く満足してしまいます。

ハードルが低いのでいとも簡単に期待を超えてくるわけです。

自暴自棄とも少し違うのですが、良い意味で相手や物に期待していないと、勝手にハードルを越えてくる機会が増えるので、思わぬタイミングで幸せを感じてしまう機会が増えていきました。

「こうなるのが幸せだ!」

といった明確な基準があると、そこから少し逸れてしまうだけで不満を覚えてしまいますが、これといった幸せの基準がないと想像を超えてくる事が増えてきます。これが幸せを追い求めないでいると、勝手に幸せがやってくるという事です。より正確に言うと、幸せだと感じる機会が増えます。

追い求めると逃げる理由

幸せを追い求める事が悪いとは言いませんし、理想を高くもって目指すのも良いとは思うのですが、これは恋愛で考えると難しいのがイメージできるのではないでしょうか。

かなり昔に読んだ本に女性向けに理想の結婚相手を見つける方法が紹介されていたのですが、それは自分が求めている理想の男性像を紙に書いて目に見えるところに張り付けるというものでした。

  • 身長180cm以上
  • 年収1千万円以上
  • 長男以外

のような事を紙に書いて張っておくと潜在意識に擦り込まれていき、そのような男性が目に入るといち早く気がつくようになるのだそうです。

身長が180cm以上ならある程度は見分けがつきますが、知り合いの180cmの人を改めて意識する事で一瞬で見極められるようになり、年収一千万以上の男性が身につけている腕時計や車などを勉強する事で基準が分かるようになり、詳しく話を聞くまでもなくパッと見極める事ができるようになるのだそうです。

長男を見極めるのは難しいとは思うのですが、これも周りの男性の長男の人の特徴を知る事で、事前にある程度は推測できるようになるのだそうです。

そのような理想の男性像を明確にする事で、パーティー会場などでライバルの女性よりもいち早く接する事が出来るようになるとの事でした。

このテクニックにも一理あるとは思いますが、ハードルが明確なだけに178cmの年収2千万円の男性を見過ごしてしまうかも知れませんし、長男だけど実家の面倒を見る必要がない男性を見過ごす事になってしまうかも知れません。

これを男性用にアレンジして考えてみると、

  • 容姿端麗でEカップ以上
  • 料理上手
  • 男兄弟がいて家族を任せられる

といった感じでしょうか。かなりゲスな男性のように思えてしまいますが、そのような結婚相手を求めている男性にとっては役に立つテクニックなのかも知れません。

ただ胸の大きさはパッドで誤魔化されているかも知れませんし、デートで持ってきてくれたお弁当を母親が作っていたり、一人娘だけど面倒を見てもらう事を期待していない両親だったりするかも知れません。

誰にだってどうしても譲れないポイントはあるかも知れませんが、そのようなポイントが多いほど選択肢は狭まってしまうのはイメージできるのではないでしょうか。

理想的なラーメン像が明確な人ほど、かなり美味しいラーメンに出合えても、

  • メンマの硬さがイマイチ
  • 器のセンスが合っていない
  • もう少しスープの温度が温かい方が良い

といった感じで不満の箇所ばかり目についてしまうような事です。95点のラーメンに出合えてもたった5点の不満ばかりが意識に上がってしまいます

一方で私のようにあまり期待していないと、どこにでもある80点のラーメンでも大満足できてしまいます。

もちろん私にも譲れないポイントがあり、明らかに不潔なラーメン屋は嫌なのですが、そんなポイントはお店に入る前から大体分かるので簡単に見極める事ができます。

恋愛や人間関係といったものも、最高に相性が良い人物を見つけるとなると大変ですが、最低限の苦手な基準に合致していないのであればOKぐらいに考えられると、選択肢が一気に広がってくれるものです。

幸せといったものも明確な基準を構築しておいた方が、その通りの道筋をたどりやすくなるのかも知れませんが、基準が明確なほど狭く細い遠い道筋になってしまい、どんどん遠ざかってしまいます。

幸せは歩いてくるかも?

「幸せは歩いてこない」なんて歌がありますが、私の感覚からすと幸せは期待しないで放置していると勝手に幸せの方から歩いてきてくれます。

アップル製品が大好きな人だとiPhoneの最新モデルが発売される度に前日から並んで手に入れたりしますが、この時に感じられる幸せのタイミングというのは、アップル側しかコントロールできないので、自分の好きなタイミングで選べるわけではありません。

新発売される度に有給を取って前日から並んで定価で手に入れる事は、その人なりの幸せに向かって歩いている事になるのかも知れませんが、私はそこに向かって一切歩いていないのにも掛からず、4~5年置きにスマホを買い替える度に大きな幸せを感じる事が出来ています。

大抵は三世代分ぐらいの進化を遂げているので驚く事ばかりです。薄く軽くなっているのにサクサク動いて画質も綺麗で何一つ不満はありません。携帯電話を持つようになって20年以上経ちますが、買い替える度に一番安いものを選んでいるので、毎回進化に驚いてしまいます。

私はコーヒーが好きなのですが、銘柄や味に強いこだわりがあるわけでもないので、普段はインスタントコーヒーで満足していますし、休日にだけハンドドリップで抽出したコーヒーを楽しんでいるのですが、コンビニで売られている100円のコーヒーも凄く美味しいと感じます。

コーヒーにこだわりが強い人だと、自宅でも豆を焙煎するところから始めるそうなのですが、おそらくそのような人はコンビニコーヒーでは満足できないでしょうし、その辺の喫茶店でも不満を覚えるのかも知れません。

美味しいコーヒーの基準が明確なだけに、結構な手間やお金を掛けてないと幸せを感じる事ができないので、意外と私のような人の方がコーヒーによって幸せを感じる機会は多いのかも知れません。

日頃から節約をしていると、普段なら少し高価で躊躇してしまうお寿司がスーパーで半額になっているのを見かけると、物凄く得した気分になりますし、星付きの高級寿司屋でしか満足できない人よりも、お寿司で満足する機会は多いのかも知れません。

高級寿司屋に行く事やコーヒー豆を焙煎する事が悪いわけではありませんが、意外とこだわりがない人の方が幸せを感じている事もあるのではないでしょうか。

容姿端麗でスタイル抜群のイケメンや美女ほど選択肢が多くて経験も豊富なだけに、どんどん相手に求めるハードルが上がってしまいます。比べる対象も多いので昔の恋人の幻想に囚われる事も多くなってしまうかも知れません。

知り合いの男性が3年ぐらい前に結婚したのですが、彼はあまり容姿やスタイルが良くなく、はっきり言ってブ男(失礼!)なのですが、初めて出来た彼女と結婚した事もあり、3年経っても羨ましいぐらいラブラブでとても幸せそうにしています。

恋愛はイケメンや美人でない限り、自ら歩いていく事も必要ですが、理想の幸せ像を追い求めすぎてしまうと、どんどん選択肢が狭まって遠ざかってしまうのはイメージできるのではないでしょうか。

幸せになる事は素晴らしいとは思いますが、絶対に「幸せにならなけばならない」という訳でもないので、必ずしも積極的に追い求める必要もないのではないでしょうか。

むしろ期待しないで放置しているぐらいの方が、勝手に幸せの方から歩み寄ってくる事があるものですよ。

まとめ 幸せ=不満

裕福な家庭で何不自由なく育った子供というのは、よほどな事がないと幸せを感じる機会がありません。新しく発売されたオモチャやゲームを購入した時ぐらいしか幸せを感じないかも知れませんし、おそらくそれも長続きしません。

一方で少し貧乏な家庭に育った子供というのは、給料日に家族そろって外食に出かけるような事でも幸せを感じられます。年に一度のクリスマスでしかオモチャを買ってもらえない子供の方が、好きな時に好きなだけオモチャを買ってもらえる子供より、ずっと幸せを感じています

そもそも幸せの大きさというのは、不満の大きさに比例します

お腹が空いている時間が長いほど、それが満たされた時に幸福感が増すものです。喉が渇いていない時に高価なミネラルウォーターを飲んでも美味しくは感じませんが、喉がカラカラな時なら水道水でも最高に美味しく感じられます。

幸せを積極的に追い求め続けている状態というのは、僅かな喉の渇きの度に水をがぶ飲みするような事であり、そもそもの不満も大きくないので大した幸福感は得られません

一方で幸せを追い求めないでいると少しずつ不満も溜まっていくので、水道水のような簡単な方法で一気に大満足する機会が訪れるわけです。

有名パティシエが作った豪華なスイーツでしか満足が出来ない人と、たまに甘い物が無性に食べたくなってコンビニスイーツを購入する人であれば、後者の方が圧倒的に幸せをコントロールする事ができます。

私自身も普段は甘い物をほとんど口にしないのですが、半年に一度ぐらいのペースで無性に食べたくなる事があり、そんな時にコンビニスイーツを食べると最高に幸せを感じる事ができます。

だからといって翌日に同じ物を食べても大して満足できません。不満が溜まっていないので幸せを感じる事がありません。そこで、

「じゃあ、もっと美味しいスイーツなら満足できるのかも?」

と考えてしまうと、コンビニよりも高価なケーキ屋さんに駆け込む事になり、そこでも満足出来なくなると、より遠くの有名店にまで行く事なり、どんどんハードルが上がってコントロールが難しくなってしまいます。

東京の有名ケーキ屋に行かないと満足できなくなってしまうと、田舎に住んでいる人にとっては幸せがどんどん遠ざかってしまった事になってしまいます。

幸せは追い求めるほど遠ざかってしまい、最終的には自らコントロールできないところまでハードルが上がってしまうので、新発売を心待ちにするような他者依存に陥ってしまいます。これはとても不幸せな状態ではないでしょうか。

幸せを積極的に追い求めるという事は、我慢できるちょっとした不満まで解消してしまうような事であり、そのせいで大きな幸せを感じる事が無くなってしまいます

恋愛でも相手に依存してしまうと、もっともっとと要求が強くなり、幸せを感じるどころか不幸になってしまいます。誰かに依存してしまうと簡単に相手にコントロールされてしまい、なんてことないちょっとした不満ですら、解消する方法が提示されると飛びついてしまいます。

スマホも不満のある箇所が改善されたモデルが新発売されたのであれば、それを手にする事で幸せを感じる事が出来ますが、「最新モデルじゃないなんてダサいよね」といった誰かの基準に影響されて購入してしまうと、何も不満がなかっただけに大して幸せを感じる事が出来ません。

些細な不満を満たす為に幸せを追い求める過ぎると、不満がないだけに幸せを感じる事もなく、ただただ安堵する為だけの行動になってしまいます。誰かに押し付けられた不安を解消する為だけの無意味な選択です。

これは太っている人で考えてみても分かりやすいのですが、お腹が空いてもいないのに常に間食をしていると、せっかくの食事をとっても満足する事がありません。口さみしさを紛らわせているような状態なので安堵しているだけです。

一方でちょっとぐらいの空腹を我慢して食事を取る人の方が、ずっと美味しく食べられて幸せを感じる事ができるのはイメージできるのではないでしょうか。

これは食欲に限った事ではなく、あらゆる事に当てはまります。幸せを積極的に追い求めて僅かな不満を満たしてしまうより、我慢できる不満は放置しておいた方が、少しずつ不満が膨らんでいって解消された時に大きな幸せを感じる事になります。

ペコペコにお腹が空いている時に食べる料理は何でも美味しいものですが、お腹が一杯の時はよほどの美味しそうな物でもない限り食べようとは思わないはずです。

常に美味しい物(幸せ)を求めている状態というのは、お腹が減っていないのに食べようとするような事であり、過去の経験を超えてきた時ぐらいでしか満足できません。

幸せを感じる大きさは抱えてる不満の大きさに比例するので、僅かな不満を小まめに満たしていると大きな幸せを感じる事ができません。あえて放置しているぐらいの方が、結果的に大きな幸せとなって返ってくるものです。

だからといって自堕落な生活をおくったり、周りに迷惑になるほど自暴自棄になれと言いたいわけではありませんが、わざわざ積極的に幸せを追い求めなくても、自然と訪れる幸せもあるという事を覚えておいてください。

私自身も幸せを追い求める事をやめたおかげで、幸せを感じる機会が格段に増えました。期待していないだけに頻繁にハードルを越えてくるので驚かされるばかりです。

最新の物を手に入れる度に些細な幸せを感じる人より、それほど期待せずに100均で購入した物で期待以上の幸せを感じられる人の方が、大きな幸せを感じている事が多いのかも知れません。

私は自分の意志で高級な飲食的に行く事はないのですが、たまに付き合いでそのような所に行くと、どうしても価格が気になってしまい、それなりに美味しくても「まぁ、同然だよな」といった感じで感動する事がないのですが、冷凍食品や100円回転寿司で感動する機会は頻繁に訪れます。

これは経済力なども関係してくるので、誰もが私と同じような基準で感動するとは限りませんが、ハードルを下げているほど期待を超えてくる事も増えるので、思わぬところで幸せを感じてしまうものです。

この幸せを「感じてしまう」のがポイントです。自ら追い求めて得られた幸せは想定の範囲内に収まりやすいのですが、不意に訪れる幸せは想定がないだけに、大きな幸せとなって感じてしまいます。

自らの足で歩いてでしかつかめない幸せもあるとは思いますが、幸せの方から歩いてくる事も意外と多くあるものなので、ちょっとぐらい我慢できる不満なら、あえて放置しておいた方が良い事があるというお話でした。

そう意味では日頃から何かと節制している節約家というのは、一般の人よりも幸せを感じている機会が多いのかも知れませんね。

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節約はレジャーを書いている人

光司

光司

離婚を経て人生のどん底を味わってから節約に目覚めたアラフォー男子の光司(コウジ)です。 実際に役に立った節約情報やオリジナルの節約方法を紹介します。 お金のかからない健康法や節約が上手くいく人の考え方など、様々な観点から節約について紹介するブログを目指しています。 より詳しいプロフィールはこちら⇒ [詳細]

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