節約はレジャー!

井の中で幸せに暮らす蛙、大海を知らずに大往生

井の中の蛙は不幸?

古い井戸「井の中の蛙大海を知らず」ということわざの意味は、

狭い世界に閉じこもって広い世界のあることを知らない。狭い知識にとらわれて大局的な判断のできないたとえ

とありました。

果たして、大局的な判断のできない井の中の蛙は不幸なのでしょうか?

テレビでお伊勢参りの歴史を紹介している番組を観て、この諺の意味を思い出しました。

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お伊勢参り

江戸時代の人々にとってお伊勢参りは憧れで、一生に一度はお伊勢参りをしたかったのだそうです。

当時は現在のように交通網が発達していないので、東京(江戸)から伊勢の往復には一月近くかかったのだそうです。

現代でも一カ月もの休暇を取れる人はそうはいません、江戸時代の人々にとってのお伊勢参りは、現代人にとっては世界一周旅行並の贅沢だったのではないでしょうか。

伊勢神宮の内宮の階段現代の日本で「伊勢へ旅行に行ってきた」と言われても贅沢とは思えません、沖縄へ旅行する方がよっぽど贅沢のように感じます。

さらにハワイやグアム、そしてアメリカ西海岸やヨーロッパとなると、各上の旅行のように感じます。

そして、そのうち宇宙旅行が加わるのかも知れません、大海どころか宇宙です。

贅沢のライン

人によって贅沢な暮らしやご馳走の基準は違います、国や文化や宗教によっても違います、贅沢やご馳走に正解などありません。

多くの人にとっての贅沢やご馳走の基準は自分で決めているはずです。

美味しそうな卵かけご飯会社のお偉いさんに連れていかれた料亭の食事かも知れませんし、吉野屋牛丼の特盛なのかも知れません、卵かけご飯の人もいるでしょう。

おそらく卵かけご飯専用の醤油を開発した方は、何よりも卵かけご飯が大好きだったのではないでしょうか。

一方で自分で経験したことないモノ事に対して、基準を設定してしまう人もいます。

テレビや雑誌で紹介されている高級フランス料理だったり、三ツ星を獲得したレストランだったりするわけです。

この基準は自分の経験をもとにしていません、誰かに押し付けられた情報です。

ご馳走の基準を書き換えられたということです。

近所の食堂の「生姜焼き定食」が最も美味しいと感じていたはずの人に、星付きレストランの豪華な料理を見せて、贅沢とはこういうものだという情報を植え付けるようなことです。

これは井の中の蛙に対して、大海の広さ、素晴らしさを説くようなことです。

蛙にとっては余計なお世話ではないでしょうか。

自分の基準

「生姜焼き定食」が大好きな人が積極的に「生姜焼き定食」の情報を求めて、結果的に星付きレストランにたどり着くのであれば、それは押し付けられた情報ではありません。

それは自分で選んだ基準です。

寝ている星のイラストこれが「海鮮あんかけ炒飯」でも同じような経緯をたどり、結果的に行き着いたお店が星付きレストランだった場合は別です。

星を付けている機関とあなたの基準が近いということになるので、それからは星を参考にするのは有意義なことだと思います。

一方で自分の基準を持たずに、誰かが決めた星付きだけを参考にしてしまうと本当のご馳走にありつけません。

自分の好みの味でなくても、自分の中に基準がないのでそもそも判断することができません。

一方で井の中の蛙は、しっかりと自分の基準を持っています。

井の中の蛙は幸せ

くつろぐ蛙井の中の蛙は大海を知らないので、とても満足しているのではないでしょうか。

井の中では自由で王様なのかも知れません。

その蛙に向かって、果たして余計な情報を与える必要はあるのでしょうか。

もちろん蛙が自らの意思で外の世界を知りたいのであれば別です、そのような蛙に対して教えてあげるのは素晴らしいことだと思います。

卵かけご飯が大好きな人が、より美味しい卵かけご飯を求めて様々な卵を試し、相性の良いお米を選別し、そして究極の醤油を求めた結果出来たのがTKG(卵かけご飯)専用の醤油です(推測)。

井の中の蛙だからこそ、たどり着けた境地ではないでしょうか。

他の美味しそうな食べ物に目が奪われている人は、決して卵かけご飯の深さを追求しません。

インターネットや本で情報を収集する場合は、ある程度自分の意思に沿って選ぶことが出来ますが、これがテレビとなるとチャンネルが少ないので情報が偏ります。

スカパーなどで自分の興味のあるジャンルの番組を視聴するのであればいいのですが、何となくテレビをつけている人というのは、知らず知らずのうちに基準が書き換えられてしまいます。

これは食べ物の好みだけではなく、あらゆるモノに対しての基準を書き換えてきます。

特にお昼の主婦向けの情報番組が顕著です、家庭の財布を握っている主婦に向けて、あらゆる訴えをしてきます、現状の生活を否定してきます。

今までの洗剤を否定して新しい洗剤をアピールしてきます、半年前まで堂々とアピールして販売していた自社製品に対して、それを使っているとダメだという情報を書き換えてきます。

洗剤の洗浄力に不満がある人にとっては有益な情報ですが、特に不満を感じていなかった人に対してアピールしてきます、そうしないと新商品が売れないからです。

これが新しい基準を書き換えるということです。

しっかりとテレビの情報を求めて選択して見る場合は構いません、自分の意思で選んでいるので心から納得しないと簡単には書き換えられません。

危険なのがお昼の情報番組ということです、情報番組を録画してまで観る人はいません、何となくテレビをつけているときこそ、知らず知らずのうちに書き換えられてしまいます。

極端なことを言うと、お昼の情報番組を観ると不満が増えるということです、次々と現状を否定して新しい情報(商品)を押しつけてくるので、どんどん不満が増えていきます。

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まとめ

失敗する買い物の多くは、知らずに書き換えられた情報によって行動していることがほとんどです。

本当に自分が必要なモノであれば必要な理由が明確なので、本質を間違えることはありません、見当違いにはなりません。

一方で必要もないモノを必要だと思わされて購入してしまうと、結局は使い道がないので後悔するわけです。

布団のダニで悩んでいた人に布団専用の掃除機は必要なのかも知れませんが、布団のダニで悩んだことがない人が、テレビで布団のダニの多さをアピールされて購入してしまうと、一回だけ使っておわりとなるわけです。

井の中の蛙に井のちっぽけさを説き、外の世界の素晴らしさをアピールして、井の外に出させようとする人がいます(消費を促す人)。

幸せな蛙の置物井の中に外敵の蛇でも侵入してくるような危機があれば、蛙はイヤでも井の外に飛び出すとは思いますが、そのような事態でもないのであれば、井の中で幸せに優雅に暮らしていてもいいのではないでしょうか。

自分の中の基準を大切にしてみてください、特に節約思考の方には大切なことだと思います。

井の中の蛙のように現状に満たされていることに気づいてください、わざわざ誰か(テレビの基準)と比較する必要などありません。

そもそもテレビに出る情報は普通ではないから取り上げられます。

変わった格好の若者は珍しいから取り上げられます、他とは変わったお店だから取り上げられます、テレビでは珍しいから取り上げられるわけであり、大多数の意見ではありません。

そんな珍しい人の基準に合わせることが、大多数の人の幸せになるわけありません。

まさに流行するモノというのがそれです、多くの人が試して不必要だと判定され消えていきます。

逆に流行が終わっても残っているモノは、素晴らしいモノの可能性が高いです、判断するのはそれからでも遅くはありません。

おまけ

ちなみに「井の中の蛙大海を知らず」ということわざには続きがあります。

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る」

意味は

一つの物事でも突き詰めれば深い見識を得られる

ということです。

物思いに空想するお年寄り広い空や大海を知る者には、空の一点を眺めることもありません。

広く浅く知識があることも素晴らしいですが、狭くとも深い知識があるのも素敵だと思います。

様々なメニューが楽しめるレストランもいいのですが、餃子専門店の餃子にはかないません。

広さとは常に新しい情報が必要です、果てしなく終わりがありません。

一方で狭さを追求すると、どんどん洗練されていくので終わり(究極)に近づきます。

あなたが心から夢中になれるものは何でしょうか?

見極め方は時間を忘れるぐらい楽しめることです、足がしびれているのにも気が付かないぐらい夢中になれることを大切にしてください。

自分の中の基準がわかると無駄な買い物も少なくなります、時間もお金も節約することが出来るので、より興味のあるジャンルへ投資することが出来ます。

誰かに決められた穴を掘るのではなく、自分で決めた穴を深く、深く掘って自分の井戸を見つけてみてはいかがでしょうか。


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