反対意見も大切
私は節約家という事もあり、節約テクニックや貯蓄といった情報を見かけると、ついつい興味が惹かれて目を通すのですが、一方で節約に否定的な意見や投資を勧めている側の意見を眺めるのも好きです。
節約を否定する側といっても様々なタイプがあり、実体験を元に否定していたり、ただただイメージだけで叫んでいたり、投資商品へ誘導する為の脅しとして利用していたりと面白いものです。
中には「一理あるな」と感心させられるものもありますし、全く考えた事もなかった新たな気づきが得られる事もあります。
あるギャンブラーの本を読んだ時は衝撃でした。すっからかんになって家賃や水道光熱費の支払いが滞っても、意外と何か月も生活できていたり、水道だけは生命に関わるのでなかなか止まらないなど、新たな知識が手に入ってきました。
それを真似したくなったわけではないのですが、世の中には意外なほど「蓄えが無くても生きていける人がいるのだな」と勉強になるものです。
老後資金として2000万円は必要だという意見もありますが、実際には蓄えが無くても何とか生活している人がたくさんいるものです。
似たようなところだと、私は電子書籍による雑誌の読み放題を契約しているので、購入する事はない雑誌を読む事があるのですが、全く自分に興味がないジャンルの雑誌ほど、新鮮な刺激が得られて面白いと感じる事が珍しくありません。
私は男なので女性ファッション誌を読む事がなかったのですが、女性ファッションで紹介されている理想の男性像などは、男性ファッション誌で紹介されている女性にモテる男性像とは結構違い、むしろ女性ファッション誌の方が参考になりました。
高齢者向けの健康雑誌などを読むと、大半は身体の健康の事なので予想通りではあるのですが、高齢者向けの合コン企画の存在や大人のおもちゃの広告があったりと、凄く驚かされる事もありました。
いわゆる男性向けの雑誌で紹介されている分かりやすい感じではなく、清潔感のある柔らかい印象の広告で、高齢者ならではの性の悩みがあるのだと勉強になりました。
これらのように自分の好きなことや知りたいことばかりでなく、あえて反対側の意見に耳を傾けてみたり、興味のないジャンルに触れる事で、新たな発見があるものです。
ネット社会の意外な弊害
最近はネットで簡単に情報を集められるだけに、自分にとって都合の良い情報ばかりに偏っている人が増えてきています。
ヤフーニュースなどは、その人が過去に興味を示した情報に関連したものを表示してくれるので、凄く便利な機能ではあるのですが、それだけに偏った情報ばかりに触れる事になってしまいます。
中には反対意見も表示される事があるのですが、最近はAIの進化のおかげなのか、どんどん精度が上がってきています。
投資情報を勧めたい企業などは、それを利用してあえて節約に有効な感じで投資情報を勧めてきたりもするのですが、そのような反対意見ですら偏りが出来てしまいます。
お金を出して新聞や雑誌を購入すると、興味のないところでもサッとは目を通す人が多いものですが、ネットは便利なだけにスルーしやすくなってしまいました。
自分にとって都合の良い情報、自分の考え方を肯定してくれる情報に触れると満足感は高まりますが、それだけだと新たな知識や発見は少なくなってしまいます。
好きな事からの脱却
私自身の例で言うと、離婚して子供と離れる事になって人生に絶望していた頃というのは、やたらとスピリチュアル的な本ばかりを読み漁っていました。
「そうか、俺が不幸になったのは前世での行いが悪かったからなのか・・・」
「墓参りに行っていないから心が満たされないんだ・・・」
「来世に位の高いところに生まれ変わる為に今苦労しているんだ・・・」
といった感じで、現状の不幸の理由に納得しようとし、どうにもできない事だからこそ、それっぽい理由を示してくれる情報にすがっては、つかの間の安心感を得ていました。
そんな時に図書館でたまたま出合ったのが、いかにもスピリチュアルな雰囲気が漂うゴールドの装丁の「スピリチュアリズム」という本でした。
この本にはスピリチュアルが生まれた経緯が紹介されており、それらによって助けられたと感じられるメカニズムが分かりやすく解説されていました。さらにどっぷりとハマってしまった際のリスクや弊害も解説されており、はたと目を覚ますきっかけとなってくれました。
当時の私にとってはスピリチュアルの考え方が救いにもなっていたので、それはそれで役に立っていた情報ではあるのですが、少し冷静になって考えれられるようになると、離婚になったのは自分にも至らないポイントがあったからであり、全て前世のせいにして納得してしまうと楽ではありますが、何も成長はありません。
自分ではどうしようもならない生まれ持ったコンプレックスや障害といった要素を、それらで上手く解釈しなおしてポジティブに生きられるようになるメリットもありますが、現在の不幸を全て前世のせいにして受け入れてしまうと、その状況は改善しにくくなってしまいます。
容姿のコンプレックスであれば整形手術といった解決策もありますし、身体の障害も最新医療によって改善できるかも知れないのに、前世の悪い行いのせいだと受け入れてしまうと、それらの情報が目に入っても掴み取ろうとしなくなってしまうかも知れません。
また来世に良い階級に生まれ変わる為に、現世で得を積むという考え方も微妙です。死んだあとの見返りを求めて行う善意というのは、無性の愛とは程遠い考え方です。
内申書に影響があるからボランティアをしたり、不祥事を起こして反省する姿をアピールする為にボランティアをするのと大差がありません。
ただただ目の前の困っている人を助けようとする行為と、来世に期待してする行為では、受け取る側からすると全く同じ行為だとしても、意味合いが変わってくるのではないでしょうか。
子供頃の話なのですが、近所の公園でよくタバコを吸ってはポイ捨てしている爺さんがおり、子供心にイヤな気持ちになっていたのですが、町内会のゴミ拾いにその爺さんが参加していて驚きました。
町内会からの人からの評価をされたいだけであり、町が綺麗になる事に喜びを感じていたわけでもありません。
欧米の大金持ちほど多額の寄付をするものですが、それも自分が不当な行為を行ってきた罪悪感を薄める為の行為である事が多く、本当の善意から行っているものとは限りません。
教会で懺悔をする事で悔い改めるきっかけになってくれるのであれば素晴らしいですが、安心感を得ただけで行動を変えない人もたくさんいるわけです。
寄付金やボランティアを受け取る側からすると、そんな理由はどうでも良いですし、金額が大きいほどありがたいのだとは思いますが、スピリチュアル的な解釈で得た安心感のせいで、ますます不当な行為が続く事になってしまうかも知れません。
映画でしか知りませんが、やくざの事務所には神棚が祭ってあります。彼らには彼らなりの正義や信念があるのかも知れませんが、悪事を尽くす彼らに味方する神様の存在など私には到底信じられません。
科学が進歩していなかった昔の人は、自然災害などの理屈が分からなかったので、何かしらの理由を紐づけて安心する為に、スピリチュアル的な解釈の存在意義が大きかったのかも知れませんが、それらが解明されている現代でも盲目的に受け入れてしまうと、メリットよりもデメリットの方が上回ってしまいます。
つかの間の安心感と引き換えに、目の前のチャンスを見逃してしまったり、現状を変える為の努力を怠るようになるかも知れません。
私はこういった事を知れたおかげで、ほどほどに距離を保つ事ができるようになりました。苦しんでいる人にとっては役に立つメリットもありますが、その段階を経て落ち着いてきた人までどっぷりとハマっていると、デメリットばかりが目立ってきてしまいます。
自分一人で納得して幸せであるのなら良いのですが、その価値観を押し付けてくる人もいるので、深く関わる前に距離を保つようになりました。
当ブログでは以前に金運グッズのせいで不幸になるかもという記事を紹介した事があるのですが、
身なりからも分かるようなグッズを身につけてしまうと、相容れない価値観の人が遠ざかってしまうものです。
ろくに受験勉強もしないで学業の神様にお参りしたからといって、合格させてくれるわけではないように、見返りを期待して行う善行に意味はありません。
しっかりと勉強をした上でお参りするのであれば、安心感が得られて本番で緊張しなくなるようなメリット(これがご利益)があるかも知れませんが、見返りだけを求めて初詣の金額を奮発したからといって、願い事が叶うわけがありません。
私自身も神秘的なスピリチュアル的な考え方に助けられた面はあるのですが、反対側の意見に出合えなかったとすると、今頃様々なグッズを身につけるようになっていたかも知れません。
それはそれで幸せの形の一つではあるのかも知れませんが、私は反対側の意見を知れて良かったと思っています。
インドに残っているカースト制度のように、生まれたもった階級のせいで人生が決まってしまうような考え方は受け入れたくないですし、そこから這い上がろうとする努力すらしなくなってしまうのは、凄く悲しい事なのではないでしょうか。
ちなみにインドがIT大国になれたのは、一般的には数学のレベルが高いからと言われていますが、実はパソコンのような新しい職種がカースト制度による縛りが無かったことが大きいと言われています。
それまでは住宅を建てる人や掃除をする人など、かなり細かく生まれ持った階級によって分かれていたので、職業を選ぶ権利がほとんどありませんでした。
車の運転といったものでも荷馬車を引く人のような縛りから派生しており、誰もが免許を取ればなれるものではありません。
一方でパソコン関連の事はカースト制度が出来た頃には全く存在しなかった概念なので、階級に縛られない職種になって急速に発達していったそうです。
スピリチュアル的なものに限った事ではないですが、何かしらの考え方に縛られて凝り固まってしまうと、どんどん選択肢が狭まってしまうので気をつけてほしいと思います。
そういう意味でも好きなものや興味のあるものだからこそ、あえて反対側の意見に耳を傾ける必要があると感じています。
まとめ 凝り固まった考え方を緩めよう
好きなことやハマっていることだからこそ、あえて反対側の意見に触れる事で新たな発見があるものです。
反対側の意見が分かった上で、ほどほどに楽しむ事もできますし、何よりも付き合い方(コントロール)が上手くなります。
これはプロレスで考えると分かりやすいのですが、毎日のように興行をしているプロレスラーが本気で殴り合いをしているわけではありません。
テレビ放送が始まって間もない頃の日本であれば、本気で力道山が強いのだと信じていた人が多かったのかも知れませんが、現代でプロレスを見て楽しんでいる人達というのは、そんな事は百も承知の上で楽しんでいます。
相手の必殺技を交わさずに受け、お互いの良さを引き出した上で勝負が決まります。その流れや展開を読む事が楽しいであり、たまに予定調和の流れが崩されると、「タイトルマッチへの布石か?」といった感じで盛り上がる事が出来ます。
「プロレスなんてやらせだよ」
と一言で片付けてしまう人も多いのですが、個人的には「はは、その程度の楽しみ方しかできないのね」と微笑ましくなってしまいます。
やらせと分かった上で様々な事を予想して楽しみを増幅させられる人の方が、心が豊かな感じがするのではないでしょうか。
吉本新喜劇のようなベタなお笑いも同じかも知れません。毎回似たようた展開になる事が分かっている上で楽しめる人と、そうではない人がいるような事です。
どちらが正しいというものではありませんが、「漫才しか面白くない!」と決めつけている人より、色々と楽しめた方が良いのではないでしょうか。
落語のファンも話のオチは分かりきっています。知っている話を噺家の技術によってどのように再構築されていくのか、その工程を楽しんでいます。
別に自分の考え方や信念を曲げろ言いたいわけでもないのですが、あえて反対側の意見に耳を傾ける事で違った視点から眺める事になり、新たな発見がある事は珍しくないですし、好きなことや興味のあることを、より一層楽しめるようになるのではないでしょうか。
この記事を書いていて思い出したのですが、20年ぐらい前に読んだ大槻ケンヂさんのエッセイの中に「好きなジャンルの本は100冊読もう」といった事が書いてありました。
その理由は100冊も読むと何冊かは否定的な内容の本があり、それが凄く面白いとのことでした。
当時の大槻ケンヂさんはUFOにハマっており、エッセイにもその手のネタが多かったのですが、スタンスとしてはUFOの存在を完全に肯定しているわけでもなく、だからといって強く否定しているわけでもなく、それぞれの派閥の人達の存在を楽しんでいました。
「否定派の科学者の根拠に対して、肯定派はどのように切り返すのか?」
といった感じで楽しんでおり、まさにプロレスの展開を読むような楽しみ方をしていました。
世の中の様々な事に対しても、このような考え方ができるようになると、一つの考え方に凝り固まる事もなく、選択肢が増えて楽しめる対象も増えていくのではないでしょうか。
私自身の節約といったものでも、知識のない頃は価格ばかりを気にして失敗していたのですが、様々な経験をした事で緩く考えられるようになりました。緩くといっても適当に選択するという事ではなく、
- 必要な機能が満たされている物だと2000円ぐらいか
- この辺で他にどんな物があるんだ?
- あ、これは俺にとって不要な機能がなくて1800円だ
- もしかしたら中古でもあるかな?
- オークションで500円であるじゃん!
- でも送料を考えると微妙だな~
- じゃあ近所のリサイクルショップでも覗いてみるか
といった感じで、焦らずにじっくりと選べるようになり、購入してから後悔するような事がなくなりました。
職場で必要な物だと、ここまで時間や手間をかけてしまうと効率が悪いので、最安値を検索してパッと購入した方が良いのかも知れませんが、私は節約できた金額だけでなく、その流れにも楽しみを感じているので、手にした時の満足感もより一層高まるようになりました。
「中古品などありえない!」といった凝り固まった考え方があると、なかなか選択肢が広がらないものですが、頭を緩くして考えられるようになると、より適した物に出合いやすくなるものです。
節約も価格だけで考えると購入後により安い物を見かけると悔しくなってしまうものですが、様々な工程も楽しめるようになると「こういう選択肢もあったのか!灯台下暗しだぜ!」と嬉しくなります。
何事も絶対的な正解や正義があると決めつけてしまうと、息苦しくなってしまいます。展開の予想が外れた時まで楽しめるプロレスファンのような考え方のほうが、より多くの楽しみが見つけられるのではないでしょうか。
世の中には白黒はっきりとつく事の方が少ないものです。相手には相手の正義や信念があり、それを強く否定する事で争いごとが起こってしまいます。
反対側の意見を受け入れろという事ではないのですが、
「そういう考え方もあるんだなぁ~」
と理解できるようになると、良い落としどころが見つかりやすくなりますし、相手も譲歩してくれやすくなるものです。
そもそも白や黒といっても、白い塗料だけで膨大な数があります。黒といっても全ての光を吸収してしまうブラックホールのような黒い塗料はありません。
エスキモーは雪の白さを表す単語だけで何十種類も使い分けていると言われています。
意外と白や黒でも幅があると理解できると、「ちょっとグレーっぽいけどいいいかな」といった感じで、お互いが歩み寄れる事もあるのではないでしょうか。
そういう意味でも、あえて反対側の意見に耳を傾けると為になる事が多いので、機会があればそのような本や情報にも触れてみてほしいと思います。
バスタオルの匂いが気になった人であれば、抗菌作用のあるものや速乾タイプのものや部屋干しに強い洗濯洗剤や乾燥機といった選択肢が見つかるものですが、あえて反対側の意見に耳を傾けると、
「バスタオルってそもそもいらなくね?」
といった感じで、新たな気づきが得られるかも知れません。この考え方が身についていくと、
「髪を短くすればドライヤーもいらなくね?」
といった感じで、どんどん新たな気づきが得られるものです。もちろん長い髪に誇りをがある人にとっては、役に立たない気づきかもしれませんが、何となく髪を伸ばしていただけの人にとっては、一気に様々な事が解消される素晴らしい気づきになるかも知れません。
速乾バスタオルや強力なドライヤーを見つける事も選択肢ではありますが、「そもそも」といった感じで頭を緩くして考えられるようになると、より根本的な問題にアプローチできるようになりますよ。