節約はレジャー!

人助けをしない方が良いケースもあると理解しておこう

人助けをしない方が良いケースとは?

一般的に人助けをする事は素晴らしい事ではありますが、助けを求めている理由によっては、助けない方がその人の為になるケースがあるものです

分かりやすいのは、借金のお願いでしょうか。

突発的な事故や災害などのトラブルでお金に困っているのであれば別ですが、遊ぶ金欲しさに借金をお願いするような人にお金を貸してしまうと、益々その人には借金癖がついてしまいます。

パチンコですっからかんになって困っている人に、食事をご馳走するような事も同じです。お金が無くなっても何とかなると思ってしまうと、平気で同じ過ちを犯してしまいます。

飢餓状態の人でもない限り数日ぐらいなら水だけでも平気ですし、太っている人ならむしろ健康になるかも知れません。

参考一日一食の効果は節約だけじゃない?

自らの過ちによって苦しんでいる人を安易に助けてしまうと、その過ちから学ぶ事が出来なくなってしまいます。

これが人助けをしない方が良いケースです。

借金のような事は分かりやすいのですが、これは日常のちょっとした事でも当てはまるものです。良かれと思ってした人助けだとしても、結果的に悪い結果を招くかも知れません。

割り勘との付き合い方

先日、仕事関係の付き合いで居酒屋の飲み会に参加したのですが、そこでかなり気になる人物がいました。

彼は大食漢のようで次から次へと食べ物や飲み物を注文し、どんどん胃の中に収めていくのですが、途中で苦しくなったようでトイレに駆け込み、なんと自ら吐いてきたと公言しました。そして胃薬を飲み、再び食べ続けていました。

私は小食でお腹をいっぱいにする事が好きではないので、このような場ではほとんど注文する事がなく、後半にみんなが食べ残している物をいただく事が多いのですが、そんな私を見て大食漢の彼が、

「もっと食べろよ!男かよ!」

と、つっかかってきました。かなり酔っぱらっていたので、まともに対処しても面倒なので、

「すいません、先に食べてきちゃったんですよ~」

と、適当な事を言ってやり過ごしたのですが、豪快にたくさん食べる事が良い事だと信じ切っている彼の言動に疑問をもちました。

テレビなどでも大食いの人が凄い人物のように取り上げられていますが、私には凄い人には思えません。必要以上に食べて生き物の命を粗末にしている事の、どこが凄い事なのでしょうか。

さらに大食漢の彼のように吐いてまで食べ続けるなど言語道断です。そんな彼の体調を整える胃薬にすら悪意を感じてしまいました(笑)。

結局彼は終盤には「気持ち悪い~」とうなだれて、たくさんの食べ物や飲み物を残してしまいました。

割り勘だからと彼のように好き勝手に注文した方が損をしないと考えてしまう人もいるかも知れませんが、それで自らの体調を悪化させるのはバカバカしいものです。

そのような場に参加しない事が一番なのですが、仕事の付き合いなので気持ちの方も割り切って一次会だけ参加して帰りました。

彼は部下に介抱されながら二次会の会場に向かっていったのですが、そこでも周囲の人に迷惑を掛け続けることは容易に想像ができます。

私にとっては一杯のビールと残り物を少し食べただけなので、割り勘で4500円は高いのですが、彼と張り合って食べ過ぎて苦しくなる方がバカバカしいですし、注文が増えて割り勘の費用が5000円になってしまうと、私と同じような人にも迷惑を掛けてしまいます。

いい年をして周囲の人に平気で迷惑を掛けている彼を助けたり、同調する理由はありません。それで彼の今後の仕事に悪影響が出てしまったとしても当然の報いです。

安易に人助けをして何事もなかったかのように納めてしまうより、翌日に後悔するぐらいの失敗があった方が、今後の彼の人生にとって良い事なのかも知れません

大切な友人がアンラッキーな出来事に遭遇し、とんでもなく落ち込んでいる時にヤケ酒にグチに付き合ってあげるような事は素晴らしいと思いますが、平気で周りに迷惑をかけるような人を助けてしまうと、ますます図に乗って悪い結果を招く事になってしまうかも知れません。

接待のように見返りを期待するといった目的があれば別ですが、自ら過ちによって困っている人を安易に助けてしまうのは、誰の得にもならない事があるものです。

お酒とのバランス

お酒が入ると気が大きくなって周囲の人に迷惑を掛けてしまう人がいますが、私は彼らを助けようとは思いません。

昔は助けた事もあるのですが、相手はその事を覚えていませんし、同じ過ちを平気で繰り返してしまいます。

偉そうな事を言って申し訳ないのですが、私自身も若い頃にお酒で仲間に迷惑を掛けてしまった事があります。

前日の事をほとんど覚えておらず、強烈な二日酔いで苦しむ中で昨日の出来事を友人に聞かされて反省しました。

それからは節度をもってお酒と付き合うようになり、自宅では全く飲みませんし、付き合い程度で楽しむようになりました。

お酒との付き合い方が分かっていない若い世代であれば、多少は暖かい目で見守るようにしていますが、ある程度の年齢になってもお酒でハメを外してしまう人とは、距離を保つようにしています

過去に酔っぱらった人を助ける為に、ケンカの仲裁をしたりタクシー代を貸した事もありますが、そのような事をしても彼らは同じ事を平気で繰り返してしまいます。

むしろケンカで痛みやキズが残った方が翌日以降でも反省材料になりますし、タクシーに乗らずに何時間もかけて歩いて帰った方が、その日のうちに酔いが覚めて学びがあったのかも知れません。

これらのように中途半端な人助けをしない方が良いケースというのは、意外と身近にあるものです。

指摘は余計なお世話?

ある時に車を駐車場に停めた後に、ちょうど目の前の駐車場に停めた別の車のブレーキランプが切れているのを見かけ、

「すいません、左側のブレーキランプが切れていましたよ」

と声をかけると、

「あ?うるせーよ!」

と怒鳴られた事があります。もし私が同じ事を指摘されると「教えてくれてありがとうございます」と感謝をすると思うのですが、人によっては余計なお世話になるのだと勉強になりました。

体臭が酷い人に「臭いですよ」と指摘するのは失礼なのでしませんが、家族や仲の良い人であれば、伝えてあげた方がその人の為になります。だからといって「お前、くせーよ!」と指摘するのではなく、やんわりと言葉を濁しながら伝えた方が良いものです。

人助けにもこの辺のバランス感覚が必要なのだと思います。お年寄りに席を譲るにしても、人によっては「私は年寄りじゃない!!」と怒り出すケースだってあるわけです。

いかにも立っているのが苦しそうなお年寄りであれば、声を掛けながら譲った方が他の人に割り込まれるリスクを減らせますが、微妙なラインだと何も言わずに立った方が良いかも知れません。

職場の後輩を育てる為に、あえて指摘しないで失敗を経験させた方が良いケースがあるように、何から何まで助けてあげることが良いとは限りません。

取り返しのつかないような失敗であれば、事前に指摘して避ける事が重要ですが、大した事にならない失敗であれば、あえて体験させてあげた方がその意味が分かるものです。

心配し過ぎるリスク

小さな子供に切れないハサミを与えてしまうと、ハサミのリスクを学ぶ機会まで失われてしまいます。それを知らずに成長してしまうと、遊び感覚で他人を傷つけてしまうかも知れません。

もちろん子供の年齢にもよりますが、心配だからと過保護に育ててしまうのも、問題になるのはイメージできるのではないでしょうか。

力も弱くて身体も柔らかい子供同士のケンカであれば、相手を傷つけるリスクも少ないものですが、ケンカの痛みを一切知らずに育ってしまうと、大人になった時に加減が分からずに必要以上に相手を傷めつけてしまうかも知れません。

仕事上のミスといったものも、お客さんや取引先に迷惑をかけるような失敗は指摘した方が良いですが、自分に降りかかるだけのちょっとしたミスであれば、あえて助けない方が成長を促す事になるかも知れません。

どんな業種でも基本的な事は地味な事が多いですが、経験がない初心者ほどその意味も分からずに手を抜いてしまうものです。

例えば料理の食材の仕込みのようなものだと、その料理を作った事がない新人にとっては面倒な下ごしらえの意味が分からないものですが、お客さんに提供するわけではない「まかない料理」でも作らせてみれば、その意味や違いを理解しやすくなるものです。

  • 筋を丁寧に切らないと硬くなるんだな
  • 大きさバラつきがあると上手く味が染み込まないんだな
  • 生姜は味付けの為だけでなく臭みを消していたんだな

といった事が体験できると、今まで意味がないと思っていたような地味な下ごしらえの重要性が増していくわけです。

その事に気がついた人がアドバイスを求めてきた時に助けてあげるのであれば、その人もすんなりとアドバイスを受け入れられるものですが、その意味を理解していない人にアドバイスをしても、心に響かないどころかパワハラと受け取られるかも知れません。

これらのようにあえて人助けをしない方が相手の為になり、結果的に自分の為になる事というのは、意外と身近なところにもあるのではないでしょうか。

困っている人を助けてあげる事は素晴らしい事ではありますが、困っている原因によっては助けない方がその人の為になる事もありますし、必ずしも相手に喜ばれるとは限らないので、助け過ぎないという視点も意識してほしいと思います。

まとめ 助け方にも気を配ろう

困っている人を助ける事は素晴らしい事ではありますが、その助け方にも気をつける必要があります。

財布を落として帰れないという人に交通費を渡してあげるより、切符を購入してから渡してあげた方が確実です。

「魚(食べ物)を与えるより、魚の取り方を教えてあげよう」といった表現があるように、相手にとって本当に為になる助け方を意識する必要があります

安易にお金や食べ物を与えてしまうと、味をしめて物乞いばかりが上手くなってしまうかも知れません。

「甘やかす」という言葉の意味を調べると、

 子供などをきびしくしつけないでわがままな行動を許すこと

とありました。甘やかす事が相手の為にならない事はイメージできると思います。たくさんのお小遣いを与えた孫が、おじいちゃん子やおばあちゃん子に育つとは限りません。

「人助け」をしているつもりでも、実際には「甘やかしている」ケースがあるので気をつけたいものです。

介護職についている知人が印象深い話をしてくれたのですが、ある新人女性がとても優しくてしかも可愛らしく、おじいちゃん達に大人気になってしまい、その他の人が担当すると愚痴ばかりになってしまい、暴力事件にまで発展してしまいました。

新人女性の介護(容姿も)が素晴らしいだけに、比較されてしまう同僚との関係がギスギスしてしまったわけです。

さらに優しいだけに介護の仕事以上の事を求められる事も多く、セクハラも頻発して結局辞めてしまったそうです。

そして彼女が来る前よりもずっと重苦しい現場になってしまったと嘆いていました。

優しくて可愛らしい事が悪い事ではありませんが、結果的に必要以上の優しさが男性老人を甘やかす事になってしまい、誰も得をしない結果となってしまいました。

これと似たような話がある本で紹介されていたのですが、看護婦さんは美人じゃない方が向いているという話もありました。

入院患者の男性に大人気の美人な看護婦さんだと、普段の生活よりも入院している状態の方が快適になってしまうので、入院を長引かせようという心理が働いてしまう事があるので、病院によっては美人の看護婦は患者との接点が少ない手術室を担当させると紹介されていました。

一般的な介護でも自分で出来ることまでやってあげると、益々できなくなってしまうように、人助けをするにしても加減を調節する必要があります。

人助けをされることに慣れて図に乗ってしまう人を増やさない為にも、あえて人助けをしない方が良いケースもあるという事を理解してほしいと思います

節約を頑張っている人に安易にお金を貸したり、儲け話を持ち掛けてしまうと、今まで積み上げてきた物がガラガラと崩れて落ちてしまうかも知れません。

節約を頑張った結果、僅かに目標額に届かなかった金額を貸してあげるぐらいであれば悪くはないとは思いますが、頑張る前から貸してあげると学びがありません。

その人が知らない節約情報を教えてあげるのは素敵な人助けですが、お金を与えて助けてしまうのは甘やかしです。本当にその人の為になる助け方を上手く選択できるようになりましょう。

そして自分が出来る以上の事をしないのも大切です。身体が強くない人がケンカの仲裁に入っても一発でやられてしまうだけかも知れません。「おまわりさーん」と叫ぶ事がベストかも知れませんし、110番の通報をするのがベストかも知れません。証拠の画像や動画を残しておくといった選択肢もあります。

自分を犠牲にしてまで人助けをする事は凄い事ではありますが、自分が借金してまで人にお金を貸してしまうような事は避けるべきですし、公的機関への相談を促した方が、その人の為になるかも知れません。

しばしば正義感の強い人が善意で人助けをしてしまうものですが、中には自己満足だけで相手の為になっていない事もあるものです。

私自身の例で言うと、車の運転中に信号待ちで停まっていた時に、近くの歩道で車椅子で移動している人が側溝にタイヤが挟まって動けなくなっていたので、車を降りて助けに行くと、

「すいません、すいません。大丈夫ですから!」

と言われてしまい、私が手を出す前に自力で側溝から脱出してしまいました。そして信号が変わってクラクションを鳴らされ、慌てて車に戻る事になりました。

この時の私は何も考えずに行動してしまったのですが、助けるにしても車を安全なところに停めてから行くべきでしたし、他の歩行者もいたので彼らに任せた方が良かったのかも知れません。

少し落ち着いて考えれば分かるような事ですが、咄嗟に良かれと思って行動してしまったばっかりに、誰の得にもならない結果となってしまいました。

この経験は私の中でかなり大きなものだったので、その後に良かれと思って人助けをするにしても、一呼吸置くようになりました。

ある商店街を歩いている時に3歳ぐらいの女の子が1人で泣いていたのですが、私のような中年のおじさんが話しかけてしまうと益々怖がらせてしまうかも知れませんし、最悪の場合は誘拐犯と間違われてしまうかも知れないので、近くのお店にいた優しそうなご婦人に話しかけて、協力してもらいました。

ほどなく母親が現れて事なきを得たのですが、良かれと思って私が1人で話しかけてしまうと、事を大きくしてしまったかも知れません。

もちろん危険な状態であれば、咄嗟に助けてあげた方が良いケースもありますが、よほど大ピンチでなければ冷静に見極めてから行動に移した方が相手の為になるケースが多いものです。

人助けをしたつもりで「ミイラ取りがミイラになる」かも知れませんし、事を大きくしてしまう事もあります。人を助けるのは素晴らしい事ですが、自分を助けることも忘れないでほしいと思います

自分の損得だけを考えて人助けの加減を調節するとなると、あまり良い印象にはならならないかも知れませんが、相手の損得を考えて加減をするのであれば、それほど悪い事ではないのではないでしょうか。それが結果的に自分を助けることにもなりますし、多くの人がハッピーになるはずです。

「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるように、家族や仲間との関係にだって当てはまります。必要以上の善意のせいで相手を困らせる事もあるので、よかれと思って人助けをする時でも、一呼吸おいてベストな方法を考えるのが良いかと思います。

全く悪意のない正義感で行った事ほど、すれ違った時の問題も大きくなり、責任の所在も分からなくなってしまうので、冷静な判断を心掛けてほしいと思います。

自分の為にも相手の為にもベストな選択が何なのか考えてほしいと思います。状況によっては安易な人助けのせいで、誰も得をしない結果になってしまうものですよ。

down

コメントする




節約はレジャーを書いている人

光司

光司

離婚を経て人生のどん底を味わってから節約に目覚めたアラフォー男子の光司(コウジ)です。 実際に役に立った節約情報やオリジナルの節約方法を紹介します。 お金のかからない健康法や節約が上手くいく人の考え方など、様々な観点から節約について紹介するブログを目指しています。 より詳しいプロフィールはこちら⇒ [詳細]

節約仲間のブログがいっぱい!

 

  にほんブログ村 その他生活ブログ 節約・節約術へ