楽しみを後にとっておくのは無意味!?
少し前にネットニュースで気になる内容のものを見つけました。
それは「楽しみを後にとっておいても幸福感は変わらない!」という調査結果です。
アメリカの大学の調査で試験前にレジャーに行かせた学生と、試験後にレジャーに行かせた学生の満足度を調べると、ほとんど差が見られず、「楽しみを後にとっておいても無意味だ」という結論に達した論文がありました。
ただ満足度といっても自己採点であり、試験という特殊のケースなので、かなり曖昧な感じがするのですが、このような調査結果が出たからと「楽しみを後にとっておいても意味がない」と判断してしまうのは早計なのではないでしょうか。
しばしば合理的な判断をする人ほど、科学的な根拠といったものに絶対的な信頼をよせて参考にしていますが、その根拠が曖昧だったり、ちょっと条件が変われば結果が変わってしまうような事もありますし、何よりも一番大切な自分の体感を見落としてしまう事になってしまうかも知れません。
当たり前の事ですが、楽しみを後とっておいた方が良いケースもあれば、損してしまうケースもあります。科学的や統計学的に正しいからといって、自分の体感を無視して取り入れてしまうと大損する事になってしまいます。
科学的な根拠が的外れの事もありますし、特定の機関によって都合よく捻じ曲げられたケースもあるのですが、何よりも一番大切な自分の体感を軽視してしまう事こそ、最もリスクになるのではないでしょうか。
料理の満足度の違い
食堂で「とんかつ定食」を頼んだ時に、揚げたての熱々のとんかつが一番美味しいからと考えて真っ先に食べてしまう人もいれば、少し冷ましてから食べた方が美味しく感じる猫舌の人もいます。
健康に気を使っている人なら、先に付け合わせのキャベツの千切りを食べて血糖値の急激な上昇を抑える食べ方をする事で満足するかも知れませんし、最後に一番美味しいとんかつを食べる事で後味を良くしたい人もいます。
私の場合だと、ご飯や味噌汁も含めてバランスよく食べすすめ、残さずに綺麗に食べきる事に喜びを感じます。食べ物を残す事に強烈な罪悪感があるので、バランスよく攻めていきながら、ソースなども残さないで綺麗に食べきれると、凄く満足度の高い食事になってくれます。
逆に食べ物を残す事を気にしない人であれば、とんかつだけを食べて満足するかも知れません。実際に少し前に吉野家に行くと、隣に上品そうなご婦人が牛丼の肉だけを食べ、玉ねぎとご飯をまるまる残していたのを目撃しました。
私は心の中で「だったら牛皿をネギ抜きで頼めよ!」と叫んでいたのですが、あまりにも吉野家に相応しくない身なりのご婦人だったので、初めて来てよく分からなかったのかも知れませんし、食べ物を残す事に何も感じないタイプだったのかも知れません。
ビールのような炭酸飲料だと、後にとっておくと炭酸が抜けてしまいますが、それだって強炭酸が苦手な人にとっては美味しく飲める方法なのかも知れませんし、私のように冷たい飲み物を避けたいタイプの人だと、乾杯で軽く口をつけた後に、しばらく放置してから飲んだ方が満足度が高くなります。
キンキンに冷えたビールが喉を伝っていく事に快感を覚える人もいれば、私のように冷たいのものが食道を通っていく事に不快感を覚える人もいます。
科学的には最もうまみ成分を感じられる食べ方や飲み方があるのかも知れませんが、自分の体感を無視してまで受け入れてしまうと、本当に満足する事ができません。
韓国の人はビビンバは混ぜれば混ぜるほど美味しくなるからと、これでもかと混ぜているのですが、私はそれぞれの食材の違いを楽しみたいので、混ぜないで食べた方が美味しく感じられます。
お好み焼きだってタネをしっかりと混ぜてから焼いた方が美味しく焼きあがるのかも知れませんが、お好み焼き屋さんでは、あえて混ぜない状態で運んでくるのは、その方が見た目が美しくて満足するお客さんが多いからなのではないでしょうか。
これらのように料理の食べ方や飲み方一つとっても、人それぞれ満足する方法が違いますし、一概に正解など決められるものではありません。
楽しみを後にとっておいた方が良い人もいますし、真っ先に楽しんだ方が良い人もいます。料理によっても違えば、体調によっても変化するかも知れません。こんな事は当たり前の事なのですが、自分の体感を無視して、
「熱々のたこ焼きをハフハフしながら食べるのが一番上手いんだ!」
のような決めつけを受け入れてしまう事こそが、最も損する結果になるのではないでしょうか。
外国人が日本のラーメンを食べる時に、「箸で啜って食べるのが一番美味しいんだ!」と押し付けるより、フォークとスプーンを出してあげた方が、自分のペースで美味しく食べられるはずです。
当ブログでは以前に「粋な蕎麦の食べ方」を指摘してきた人の事を紹介した事があるのですが、
中途半端に通ぶっている人ほど、本心に蓋をして満足度が低くなっているのかも知れませんし、的外れな事もしでかしてしまっているものです。
周りの人に迷惑をかけてしまうような自分勝手な方法が良いとは言いませんが、ある程度のマナーさえ守れていれば、自分の基準で選んだ方がずっと楽しみが増すのに、最近は空気を読み過ぎて損している人が増えているように感じます。
自分の体感と向き合おう
冒頭で紹介したテスト前後のレジャーの満足度の調査といっても、その学生にとって人生を左右するような大事な試験であれば、合否が出るまで何をしても楽しめるものではないかも知れません。
全く同じレジャーでも大学受験で合格した後であれば最高に楽しめる対象になるかも知れませんし、失敗した後だと世界一のレジャーでも楽しめないかも知れません。
そのレジャーだってカラオケのようなものと遊園地のようなものだと満足度に個人差がありますし、いっしょに行く人との相性だって関係してきます。好きでもない人とレジャーに行ったて楽しめるわけがありません。
また成績に全く関係のないテストだと、先にしようが後にしようが満足度はたいして変わらないかも知れません。
その論文の内容にケチをつけたいわけでもないのですが、日本とアメリカではテストに対する捉え方も違いますし、そのテストも成績を大きく左右するものと、調査の為だけの成績とは無関係のテストでは、生徒側のモチベーションは大きく変わるはずです。
私自身も学生時代は成績に関係する中間テストや期末テストの前は勉強しましたが、成績に関係ない学力テストのようなものだと一切やりませんでした。むしろその方が相対的に現在の自分の実力が分かるので、あえてやらない方が良いと判断していました。
科学的な根拠や統計的に正しいと言われているものでも、人によっては全く当てはまらない事もありますし、効果があるという結果でも75%程度かも知れませんし、自分が残りの25%側でも不思議ではありません。
科学的な根拠や世間一般の常識を参考にするのが悪いとは言いませんが、選択基準がそこばかりになってしまうと、本当に自分が満足できる方法を選択できなくなってしまいます。
これは音楽の好みなどで考えると分かりやすいのですが、知識も経験も乏しい若者ほど選択基準を持ち合わせていないので、流行の音楽に飛びつく傾向があります。
それでも様々な音楽に触れていくうちに、多くの人は自分なりに好きな音楽を選べるようになっていきます。30代、40代になっても最新のヒットチャートの音楽ばかりを好む人は滅多にいません。
音楽のように自分の体感が得られやすい対象だと、多くの人が自分なりの基準が構築する事ができるのですが、
「科学的にはモーツァルトを聞くのが脳に良い」
といった情報を真に受けてしまうと、本当に自分が好きな音楽を見つけ出そうともしなくなってしまいます。これが最も損なのではないでしょうか。
周りに人の事を全く考えないで自分勝手な基準だけで選ぶのが良いとは言いませんが、音楽のように周りに迷惑にもならないような事まで、他者から評価や世間一般の常識や統計的な正解を求めてしまうと、どんどん本心から遠ざかってしまいます。
自宅の中で楽しむ音楽であれば、隣の家に迷惑にならない音量で自由に楽しめば良いだけです。そこに誰かに基準を持ち込む必要はありません。
ファッションのようなものだと、職種や立場によって求められる要素もあるので、自分勝手な基準だけで選んでしまうと損する事も増えてしまいますが、誰にも迷惑をかけないルームウエアやパジャマのようなものであれば、大好きなアニメキャラのものだって構わないわけです。
科学的にリラックスできるインテリアの配色がブルーだったとしても、大好きなアイドルグッズやフィギアに囲まれている方が幸せな人もいますし、海でおぼれた経験がある人なら、海を連想させるブルーのせいで緊張感が高まってしまうかも知れません。
それほど自分にこだわりがない箇所であれば、周りの人や大切な人の基準に寄せるのも良いのですが、食事の好みや音楽の好みのような体感が得られやすいものまで誰かの基準を受け入れてしまうと、どんどん自分の好きなものが分からなくなってしまいます。
若い世代の中には
「やりたいことが見つからない」
という人が増えているそうなのですが、最近の若者は凄く良い子が多いですし、空気を読む事が長けているだけに、自分の本心に蓋をし続けて分からなくなっている人が増えているのかも知れません。
楽しみを後にとっておく事に正解も不正解もないように、自分で決めていい事まで誰かに委ねてしまうと、どんどん息苦しくなってしまうので気をつけてほしいと思います。
まとめ 損得も変わる
私は節約家という事もあり、お金の金額で損得を決めてしまいがちなのですが、この損得だって後から変わる事は珍しい事ではありません。
チラシでセールになっていた商品を買いに行った時に、既に売り切れてしまっていると損した気持ちになりますが、別にお金が減っているわけでもありません(交通費は別ですが)。
帰り道に別の店によって似たようなものを探していて、より良い物が見つかると得した気分になります。むしろ売り切れていたからこそ、得する事ができたと解釈が変わってしまいます。
逆にお目当ての物を購入して得した気分になっていても、別のお店でより良いものを見つけたり、さらに安く売られているのを見かけると、損した気分になってしまいます。
これらのように損得のような感情は、実にあっさりと変化します。
ネットで時間をかけて最安値を調べて、
「どこよりも一番安く買えたぜ!」
と満足していても、翌月にさらに機能が進化した新商品が格安で販売されるのを知ると、一気に損した気分になってしまうものです。
損得の解釈ですら変わるのに、それに正解も不正解もありません。
結局は自分で満足するかどうかの違いであり、それも自分で選択したものであれば諦めもつくのですが、その選択基準を他者に委ねていると、やり場のない怒りだけが積み重なっていってしまいます。
判断基準を持ち合わせていないジャンルの物であれば、他者の意見を参考にするのは良いのですし、むしろ参考にするべき対象として科学的な根拠や統計的なものは良いのですが、自分の中に判断基準を構築する習慣がないと、いつまで経っても正しい情報を探し求めて彷徨ってしまう事になってしまいます。
最新の科学的な根拠ばかりを追い求めている人も多いのですが、それらだってどんどん更新されていきますし、その度に自分の体感を無視してまで受け入れてしまうと、いつまで経っても本心が満たされる事がありません。
電子タバコが出始めた頃は、煙も匂いも少なくて周りの人の迷惑にもならず、火事のようなリスクもないので、最高の選択肢といった感じで多くの文化人が絶賛していたものですが、最近は電子タバコならではの新しいリスクが見つかり、従来のタバコよりも危険視する意見も増えてきました。
日光の紫外線が肌に良くないからと、日焼け止め防止クリームを塗りたくる人が増えましたが、その日焼け止めクリームのせいで肌の負担になったり、海を汚す問題も分かってきました。
たまに全身の日焼け対策をしているおばちゃんを見かけますが、綺麗になりたくて紫外線を避けているはずなのに、現状が全く綺麗に着飾れていない事に気がついていません。
肌だけで考えると紫外線を避ける事が有効なのかも知れませんが、その事で骨がもろくなったり、鬱になったり、視力が落ちやすくなったりと、様々な弊害が出てきてしまいました。
日焼け止めクリームを売りたい側にとっては、紫外線の肌へのリスクの研究結果は正しいのですが、ちょっと角度を変えるだけで、解釈は大きく変わってしまうものです。
もちろん屋外で長時間の仕事をする人にとっては、日焼け止めクリームによって肌のダメージを防ぐメリットがありますが、ちょっとした時間しか日光を浴びないデスクワークの人にとっては、デメリットの方が上回ってしまうかも知れません。
結局は自分で判断するしかありません。この判断を他者に委ねてしまうと、期待していた効果が得られないばかりか、デメリットばかりになってしまうかも知れないので、気をつけてほしいと思います。
もちろん何から何まで自分が詳しい分野ではないので、誰かの意見を参考にする事が悪いわけではないのですが、そこに自分の判断基準を加えるという視点を忘れないでほしいと思います。
誰にとっても有益な節約情報などありませんし、あくまでもあるのは相性だけです。
楽しみを後にとっておいた方が得や損というのも全く同じで、その時々の相性があるだけです。科学的な根拠があるからといって、誰にでも当てはまるものではありません。
ちなみに性癖などは他者から影響される事が少ない(話す事がない)ので、自分なりの基準で選んでいる人が多いものですよ。
どんなに人気になっているようなものでも、多くの人が自分なりの基準が構築されているので、意外なほど左右されません。
私の例でいうと、眼鏡をかけている女性がタイプなので、こればっかりは誰に何と言われようが、判断基準がぶれるような事がありません。学生時代から女性が眼鏡をかけているだけで「プラス20点」というような感じでした。
知り合いの女性がコンタクトをしていると知ると、「なんてもったいない事をしているんだ!」と思ってしまいます。もちろん口には出しませんが、たまにコンタクトを忘れて眼鏡をかけるようなことがあると嬉しくなってしまいます。
少し前に聞いたラジオの中で、リスナーから変わった性癖を募集したコーナーがあったのですが、ウルトラマンに興奮するという珍しい男性がいました。
彼が思春期になって性に目覚めた頃、手持ちの物で唯一女性らしさを感じられたのが、ウルトラの母の人形だったらしく、その内に人形の素材に興奮するようになり、他のウルトラマンの人形を見ても興奮するようになったのだそうです。
大人になった現在でもウルトラマンを見かける度に、甘酸っぱい興奮が蘇ってくると紹介されていました。
私の眼鏡好きや彼のようなウルトラマン好きというのは、他人が理解できるものではありませんが、当人にとっては間違っているわけでもなく、全うな対象になるわけです。
性癖に限った事ではありませんが、これらのように自分なりの基準で選択できるようになると、本当に満足できる事が増えるのではないでしょうか。
まずは周りの迷惑にならない対象だけでも、改めて自分の本音と向き合うようにしてみてください。意外と忘れていた気持ちが見つかるかも知れませんよ。
ちなみに私は保育園時代にピンクのタオルケットが大好きでした。ただそれを周りの男の子達からバカにされて青を好きになったのですが、それから何十年経ってから思い出し、現在は再びピンクのタオルケットを愛用しています。
久しぶりに使用した時は、なんとも言えない安心感や懐かしさがあり、本当に求めていた心地よさを手にする事ができました。
タオルケットの機能である温もりを求めていたわけでもないので、抱き枕のように抱えて眠ると睡眠の質がグッと良くなってくれました。
私はオーダーメードの枕を作ったり、話題になっているベッドパッドを購入しても睡眠の質は良くならなかったのですが、本音の蓋を外した事で最高の睡眠を得る事ができるようになりました。
たかがタオルケットの色のようなものでも、本音に蓋をして損している事があるかも知れないので、皆さんも昔好きだったものなどがないか、改めて思い出してみてください。本当の自分を取り戻す作業になってくれますよ。